2018年11月30日金曜日

【産経抄】2018-11-30

【産経抄】2018-11-30


 女優の赤木春恵さんは、終戦を旧満州のハルビンで迎えた。半年前から兄が現地で設立した劇団に参加して、各地を巡業していた。兄が召集されてからは、20歳にして座長を務めていた。

 ▼まもなくソ連軍が進駐してきた。赤木さんと劇団員は身を守るために、頭におしろいの粉をかけ、顔にしわを描いて老女に扮装(ふんそう)した。ソ連兵が顔を見るなり立ち去ると、心底「女優でよかった」と思ったという。

 ▼翌年10月に日本に引き揚げるまで、中国料理店で給仕をしたり、ホールで外国人のダンスの相手をしたりと、生計を立てるため何でもやった。発疹チフスに感染して、生死の境をさまよったこともある。

 ▼のちに喜劇役者としてスターとなる藤山寛美さんも、現地に取り残されていた。ソ連軍の許可を得て芝居を上演するために、いっしょに革命歌の「インターナショナル」を歌った仲である。戦後、芝居の仕事で再会したとき、お互い出てきた言葉は一つだけだった。「よくここまで生きてきたね」。その後は2人の目から涙がこぼれるばかりだった。

 ▼戦後は映画や舞台、テレビで脇役として欠かせない存在だった赤木さんの訃報が届いた。94歳だった。6年前に92歳で亡くなった森光子さんは、戦前、慰問団のトラックの上で知り合って以来の親友である。晩年に舞台で共演していると、出番を待つ間や芝居がはねて帰りがいっしょになったとき、2人はいつも手をつないでいた。

 ▼作家の梯(かけはし)久美子さんのインタビューにこう語っている。戦争のころは「毎日、自分が生きるだけで精いっぱいで、他人のことを考える余裕はなかった。女友達と他愛のない話ができるって、ほんとうに幸せなことなのよ」(『昭和二十年夏、女たちの戦争』)。