2018年3月28日水曜日

2018-03-28 aomori「市からのお知らせ」第383号◆春だ! 浅虫へ行こう!◆


春だ! 浅虫へ行こう! 春の浅虫地区は地元のかたと一緒に浅虫の自然を楽しみながらウォーキングする「早朝ウォーク」や、カタクリの花の見ごろにあわせて行われる「湯の島カタクリ祭り」など見どころいっぱいです。浅虫温泉観光協会HPをチェックしてぜひ春の浅虫を満喫しましょう!(http://www.asamushi.com/

☆★お知らせ★☆

◆青森駅前自転車等駐車場は4月1日から利用再開◆
 冬期間閉鎖中の「青森駅前自転車等駐車場」の利用を4月1日(日)から再開します。
 青森駅東口周辺は、自転車や原動機付自転車の放置禁止区域ですので、当駐車場(無料)をご利用ください。
〔問合せ〕生活安心課(017-734-5258)

◆市営バスからのお知らせ◆
 4月1日からの新しいダイヤを次のとおりお知らせします。通勤・通学・買物・通院・観光・レジャーに市営バスをぜひご利用ください。
・各バス停の通過予定時刻…青森市ホームページ(http://www.city.aomori.aomori.jp/koutsu/jikokuhyou/index.html)に掲載。
・市営バス時刻表(ポケット版)は3月24日(土)から東部・西部各営業所、乗車券各発売所、市役所各庁舎、各支所・市民センターなどで配布しています(1人1部)。
〔問合せ〕東部営業所(TEL 017-726-5443)、西部営業所(TEL 017-788-2326)、交通部管理課(TEL 017-726-5453)



○青森市ホームページ
http://www.city.aomori.aomori.jp/
○携帯サイト「青森市mini」
http://www.city.aomori.aomori.jp/keitai-mini.htm









2018年3月27日火曜日

2018-03-27 BUN(尿素窒素)

[尿素窒素(BUN)] 検査の目的
血液中の尿素窒素量を測定し、腎機能・肝機能の状態を調べる検査です。
体内のたんぱく質の老廃物が尿素窒素で、肝臓でアンモニアと二酸化炭素をもとに作られ、尿として排出されます。クレアチニン検査もあわせておこない、腎機能を総合的にしらべます。

[尿素窒素 (BUN)] 検査
結果の見方
要受診基準値要受診
7以下8~2021以上
(単位: mg/dl)

数値が21以上で高ければ腎臓を、7以下で低ければ肝臓をの病気を疑います。腎臓の機能が低下していると、尿素窒素の排出量が減って体内に残り、血液中の濃度が上昇(数値が高い)します。逆に肝臓でつくられる尿素窒素量が減ると、濃度は低下(数値が低い)します。

[尿素窒素(BUN)] で見つけられる病名
【基準値以下】

肝硬変、肝機能不全など

【基準値以上】

慢性腎炎、腎不全、消化管出血、尿毒症など





2018年3月23日金曜日

2016-10-21 Yomiuri Online 70年後に見えてきた白洲次郎の意外な事実

70年後に見えてきた白洲次郎の意外な事実


読売新聞調査研究本部主任研究員 舟槻格致( ふなつき・かくち )
2016年10月21日 12時30分

日本国憲法は11月3日に、「公布70周年」の節目を迎える。連合国軍総司令部(GHQ)による「押し付け」で作られたとされる憲法の制定当時、GHQとの交渉で苦闘しながら活躍したことで知られる白洲次郎の実像に、読売新聞調査研究本部で憲法問題担当の舟槻格致主任研究員が迫る。

白洲次郎(1902~85年)の典型的なイメージといえば、戦前のヨーロッパ大陸で、ベントレーやブガッティを乗り回したダンディーな日本人。イギリス貴族仕込みのブリティッシュ・イングリッシュで、憲法を巡っては、政府の「終戦連絡中央事務局次長」として連合国軍総司令部(GHQ)に正面から戦いを挑み、吉田茂首相を助けた男――。こんな辺りだろうか。

 NHKのドラマなどを通じて人気が沸騰し、今なお「日本で一番カッコイイ男」とまで言われる人物の生き方は、調べれば調べるほど興味深い。だが、女婿の牧山圭男よしお・長女の牧山桂子かつらこ夫妻に話を伺うと、一般的に抱かれる人物像とはちょっと違う白洲の姿も浮かび上がってくる。夫妻の話も踏まえて、白洲の実像と日本の戦後史に与えた影響を考えてみたい。



疑問1・白洲はマッカーサーを怒鳴りつけたか

 東京郊外・町田市。小田急線鶴川駅から15分ほど歩いた緑あふれる住宅地に旧白洲邸「武相荘ぶあいそう」はある。かつて農家を買い取って白洲次郎・正子(1910~98年)夫妻が暮らした邸宅が、今は一般に公開されている。その一室で牧山さん夫妻にお会いし、白洲の思い出を語ってもらった。

 「天皇の贈り物を『その辺に置け』とは何事か!」

 白洲を一躍ヒーローにしたのは、昭和20(1945)年のクリスマスのエピソードだろう。白洲が届けた天皇のプレゼントを、マッカーサーが「そのあたりにでも置いておいて」と、絨毯じゅうたんの上を指さしたところ、このセリフが飛び出したとされる。プレゼントを持ち帰ろうとする白洲の姿にあわてたマッカーサーは、台を用意させたという。

 当時の日本は、米国に敗れて国土は焦土となっていた。精神的にも、日本人の誰もが絶対的な存在と信じていたはずの天皇陛下すら「碧あおい眼めの大君」マッカーサーに屈従せざるを得ず、うちひしがれていた。そんな中にあって、一人の日本の男がマッカーサーを面前で一喝したというのだから、空手チョップで外国人レスラーをやっつけた、かの力道山並みにカッコ良すぎる逸話と言えよう。

 ところが、桂子さんは「そんな失礼なこと言いませんよ」と、このエピソードに否定的な見方を示す。以下は、圭男さんの解説である。

 「白洲は、評論家の河上徹太郎さん(1902~80年)と非常に仲が良かった。生前、白洲はよく『若いやつが生意気なことを言うから、怒鳴りつけてやった』とか『ぶん殴ってやった』ということがあった。でもそれは心情を吐露しているだけであって、本当に殴るわけではない。白洲はマッカーサーとのことも、『マッカーサーを怒鳴りつけてやった』というように話し、それを聞いて面白がった河上さんが書いて広まったエピソードではないでしょうか。白洲は失礼なことはしないんです」

 要するに、多分に脚色が入っていたのではないか、というのである。もっともマッカーサーが慌てて台を取ってきたのはどうも事実だったようで、「白洲が紳士的に苦言を呈した」というあたりが事実に近いのかもしれない。

 「怒鳴りつけた」が仮に本当でないとしても、それで白洲の株が下がるとは全く思わない。天皇の贈り物が軽んじられないようにきちんと英語で伝え、しかもそれをマッカーサーに実行させるというスマートなことができた日本人が当時、果たして白洲以外にいただろうか。天皇に敬意を払う日本人の思いをマッカーサーに率直に伝えたことは、東京裁判などから天皇の身柄を守る意向に傾いていたとされるマッカーサーの決意を、さらに固めたに違いないとも思う。



疑問2・白洲は「押し付け憲法」を嫌ったか

 白洲が日本の現代史上、最も活躍したのは、日本国憲法の原案が作られた46年の2月から3月にかけて、当時の吉田茂外相や松本烝治じょうじ・憲法担当国務相と一緒にGHQとの厳しい交渉に当たった時期ではないだろうか。GHQは、自ら作った「マッカーサー草案」をほとんど日本側に直させないまま、3月7日には「憲法草案要綱」が新聞などで発表された。

 煮え湯を飲まされた格好の白洲は、同日付の手記に「『今に見ていろ』と云フ気持抑ヘ切レス。ヒソカニ涙ス」と書いている。

 白洲は後に、新憲法は「押し付け」られたものであると明言している。「この憲法は占領軍によって強制せられたものである」「歴史上の事実を都合よくごまかしたところで何になる。後年そのごまかしが事実と信じられるような時がくれば、それはほんとに一大事であると同時に重大なる罪悪である」(エッセー集『プリンシプルのない日本』)とも書いている。

 こうした白洲の証言は、「今の憲法は押し付けだ」と強調する“改憲派”知識人たちの議論のよりどころの一つともなってきた。

 ところが、当の憲法の中身について、白洲は内心では評価していたというから、意外である。圭男さんが語る。

 「白洲は、『押し付けられたのは事実だし、素人が作った憲法だが、内容は良い。人の良いアメリカ人が占領軍となって作ったから、ずいぶん助かったんだ』と話していました」

 特に9条を評価していたという。朝鮮戦争を契機に米側から日本の再軍備の要請が強まり、警察予備隊が発足し、やがて自衛隊になっていくわけだが、白洲は再軍備に批判的だったという。憲法の問題点と指摘していたのは、「国の根幹にかかわるものなのに、細かく書かれすぎている。もっとザックリ書けば良かった」という点だった。

 現在の厳しい国際情勢は、9条制定当初からは一変しているし、憲法学者からは「日本国憲法は先進諸国の憲法と比べて条文が大ざっぱすぎる」という指摘はあっても逆は皆無だ。白洲の考えは、今日的に見ると正しいとばかり言いづらい面もあろうが、白洲が一筋なわでは理解できない人物であったことは、確かだ。



疑問3・白洲はGHQと対立したか

 GHQでマッカーサーの腹心だったコートニー・ホイットニー准将に「英語がうまいですね」と褒められた白洲は、こう切り返している。

 "If you study a little harder, you will improve your English."(あなたももう少し勉強すれば、英語が上達しますよ)

1957年11月に総理大臣官邸で行われた憲法調査会。白洲も参考人として出席
 ホイットニーといえば、マッカーサーに次ぐGHQのナンバー2で、日本統治の要であった民政局の局長。ロースクールで法律を学んで弁護士も経験し、将官にまで上り詰めた人物だ。知識人であり、たたき上げの軍人ではない。だが、ケンブリッジ大学を卒業し、英国の貴族階級から英語を学んでいた白洲は、自らの英語の方が正統であると感じたに違いない。心理的には引け目を感じるどころか、優位に立っていたのだろう。

 「いやみったらしい英語で言う白洲の様子が、目に浮かぶようね」と、桂子さん。

 このホイットニーとのやり取りだけを見ると、学歴や階級をひけらかしたようなイヤらしさを感じる向きもあるかもしれないが、白洲のイギリス英語の使い手としての力量は、そうした表面的なものだけではなかったようだ。

 GHQの憲法原案を押し付けて完成させようとしたホイットニーに宛てて、性急すぎると白洲が苦言を呈したことで有名なのが、いわゆる「ジープウェー・レター」(46年2月15日付)だ。先進的すぎる民主主義的な憲法の拙速な導入は、本来ジープで山道を越えていくべきところを飛行機で一足飛びに目指すようなもので、過激な反動を招きかねないと、たとえ話を交えて切々と訴えた。緊張感があふれる2枚紙の英文の手紙の最後は、こう締めくくられている。

"I am afraid I have already accelerated the paper shortage by writing this mumble but I know you will forgive me for my shortcoming for which my late father is also partly responsible."(私がブツブツと文句を書き連ねたことで紙不足に拍車をかけてしまいましたが、これは亡父の性格を一部受け継いだゆえの私の短所によるものです。どうかお許しを)

 物資が払底していた終戦直後でも、さすがに紙2枚を政府が使えないことはなかっただろう。白洲の父は、貿易会社を興した大金持ちで後に会社を倒産させ、豪放な人物として知られた白洲文平。厳しい内容が続いた文面の最後で、英国紳士を彷彿ほうふつとさせるユーモアを見せられたホイットニーは、思わずクスッと笑ったのではないか。日本語にしてみると何と言うこともないが、何とも書き手のスマートさを感じさせる機知に富んだ文章だ。

 こうした人間的な面白みも手伝ってか、GHQの人たちは、桂子さんによると、幹部クラスを含むかなりの数が鶴川の自宅を頻繁に訪れて、白洲と親しく交わっていた。白洲はGHQにはっきりとモノを申したが、それは「喧嘩けんか」ではない「主張」だったということだろう。

「誇りある文明国」GHQに印象づける
 白洲次郎が終戦直後の日本にいなかったら、どうなっていたか。

 おそらく「押し付け憲法」の内容はほとんど変わらなかったし、その後の自衛隊発足、経済復興といった日本の戦後史も、基本的にたどったコースは同じだったろう。

 だが、白洲が憲法交渉に加わっていなかったら、「押し付け」を巡る日米の亀裂はさらに深刻になり、現代にまで一層暗い影を落としたのではなかったか。プライドの高い松本国務相は、怒りのあまり交渉の途中で席を立って出て行ってしまい戻って来ないほどだった。交渉団に入っていた吉田外相が後に首相になれたのは、GHQとの折衝の前面に立つ汚れ役を白洲が引き受けたからだという見方は、決して誇張ではないだろう。白洲の能力に目を付けて引っ張り出してきた吉田の人を見る力は大したものだったと言っても良い。

 白洲は、「確かに日本は戦争には負けたが、決して野蛮な未開国ではない。誇りある文明国だ」ということを、自らの行動を通じて、GHQの幹部たちに印象づけたのだろうと思うのである。






2018年3月14日水曜日

2018-03-14 aomori「市からのお知らせ」第382号◆八甲田“雪の回廊と温泉”ウォーク◆

スキーヤーの皆さん! スノーボーダーの皆さん! ウインターシーズンも終わりだねと嘆くことはありません。モヤヒルズではスキー場終了予定日の(3月31日)まで、リフト料金が割安の「春スキー料金」を実施しています。さわやかな春風のなかスキーを楽しみましょう!

☆★「イベント」に関する情報★☆

◆八甲田“雪の回廊と温泉”ウォーク◆
 冬季閉鎖の八甲田・十和田ゴールドラインが開通する直前、2日間だけの特別イベントです! 真っ白な雪の回廊約8kmをウォーキングしませんか?
〔日時〕3月30日(金)・31日(土)
〔料金〕中学生以上5,000円、小学生3,500円(移動バス代・入浴料含む)
〔申込み〕3月20日(火)までに専用申込用紙またはホームページ専用フォームから申込みください(http://www.atca.info/goldline/walk/
【問合せ】青森観光コンベンション協会(TEL 017-723-7211)


☆★お知らせ★☆

◆あおもりコンピュータ・カレッジ進学相談会◆
 あおもりコンピュータ・カレッジは、市内唯一の公的な情報処理技術者養成施設で、市内IT企業への就職が内定するなど、青森市のIT社会を担う人材を多数輩出しています。このたび進学相談会を開催しますのでお気軽にご相談ください!
〔日時〕3月17日(土)・18日(日)・24日(土)・25日(日)
〔場所〕あおもりコンピュータ・カレッジ
〔備考〕相談会は予約なしでご来場いただけます。また、入学を希望されるかたは、奨学金(無利子)の事前申込みができますのでご相談ください。
〔問合せ〕あおもりコンピュータ・カレッジ(TEL 017-739-1311)



○青森市ホームページ
http://www.city.aomori.aomori.jp/
○携帯サイト「青森市mini」
http://www.city.aomori.aomori.jp/keitai-mini.html








2018年3月9日金曜日

2018-03-09 東日本大震災に想う


2017-03-11 産経電子版
震災直後10億円寄付した台湾人・張栄発氏を忘れてはいけない。

「日本人より日本人的だった」実業家が東北に寄せた思いとは 東日本大震災後の被災地の映像を目にし、涙した台湾人がいた。エバーグリーングループ総裁の張栄発氏(享年八八)。日本統治下の台湾に生まれ、一代で世界 有数の海運会社を育てた実業家だ。縁深い仙台が被災し、直後に個人名義で10億円を寄付したことでも知られる。張氏は生涯、日本に思いを寄せ続けたが、昨 年死去した際はメディアに大きく取り上げられることもなく、いま改めて偉功をしのぶ声が上がっている。 (外信部 塩原永久) 

日本統治期の1927年、台湾北東部に生まれた張氏は、少年時代から海運会社で働く一方、夜間学校に通い苦学して航海士となり、船員生活を送った。会社 を設立後、日本で購入した中古貨物船で海運業に乗り出したのは、30代前半のことだった。 

68年、グループ前身の長栄(エバーグリーン)海運を立ち上げ、80年代に国際コンテナ船業務を柱に事業を急拡大。史上初の世界一周航路で名をはせた。 89年にはエバー航空を設立して航空事業に参入し、ホテルや金融を抱える巨大グループに成長させた。

6年前の震災発生時は、経営の前線から身を引きつつあった時期に重なる。震災は張氏の目にどう映ったのか。巨大な津波が仙台市の海岸部や、東北の市街地を 飲み込んでいくニュースは、台湾でも大々的に報じられていた。3月11日、エバー航空がすでに定期便を飛ばしていた仙台空港に大津波が押し寄せたのは、地 震発生から約1時間後の午後4時前後だった。

 時差で日本より一時間遅い台北にある総裁室で、張氏は、テレビで流れるニュース映像をみて涙を流していたという。

地震後すぐ、張氏はポケットマネーから、被災地への巨額の寄付を決め、日本赤十字社を通じて送った。また、海運や航空のグループ傘下企業に対し、毛布な どの支援物資を運搬するよう指示。エバー航空の機材を使用して、各国政府や国際援助組織の物資まで、無償で日本に運んだ。

後日、深刻な被害が判明するにつれ「眠れないほど胸を痛めた」と述懐した張氏。被災地に惜しみない支援を即決したのは、とりわけ仙台の地が、張氏の心情に訴える場所だったからかも知れない。

事業拡大にいそしんでいた張氏が、日本各地の港湾に苦心しながら進出しようとした際、まず神戸港(兵庫県)が、そして仙台港(宮城県)が門戸を開いてくれ たのだという。台湾の新興企業にとって参入は簡単ではなかったのだろう。生前に張氏と親交を深めた全日本空輸の元台北支店長、池本好伸氏(69)は「あの とき仙台が温かく迎えてくれたことに、張氏は恩義を感じていたようだ」と話す。

エバー航空が日本路線を増やしていく過程でも、張氏は仙台空港への就航に並々ならぬ意欲をみせていたと、池本氏は振り返る。

日本語で教育を受け、「日本人以上に日本人的だった」(池本氏)という張氏。その勤勉さや、徹底して物事を突き詰めようとするエピソードも伝わる。

張氏の関連品を集める張栄発文物館(桃園市)の図書館に保管されているのは、張氏が勉強に使った海事書などだが、几帳面(きちょうめん)なメモが書き込 まれ、読み込まれて縁がボロボロになっているものばかり。全日空の支援を得ながら航空事業に参入するにあたっても、ありとあらゆる関連書籍を日本で買い込 み、「徹底した勉強ぶりだった」(池本氏)。

海運業の拡大期には、大手商社の丸紅から資金面をはじめとする支援を受け、同社とは長期的に協力関係を持った。日本統治時代の台湾を知る世代にとって、日 本との縁は生涯、ただならぬものだったに違いない。

「どんな人でも一生の間に多かれ少なかれ他人の授けを受けるものだ。(略)受けた恩は十倍にして返さなければならない」(張氏の口述自伝『本心・張栄発 の本音と真心』から)

そんな思いが強かった張氏が、震災後の日本への支援を惜しまなかったのは、自然な気持ちだったのかもしれない。一方、自身が受けた恩義を社会に還元した いという思いから、85年に奨学金を提供する張栄発基金会を設立。慈善活動や教育支援に力を入れてきた。

もっとも、自分の功績や手柄をひけらかすようなことが嫌いだった張氏は、震災後の義援金についても、表だって話すことを好まなかった。

平成24(2012)年春の叙勲で、張氏は旭日重光章を受章した。関係者でお祝いの席を用意しようと持ちかけたが、張氏は固辞したという。また、自分の 死後は「すべての遺産を寄付する」と明言していた。

昨年1月20日に死去すると、張氏による東日本大震災後の多大な日本への支援が改めて注目され、ネット上では「(張氏の)名前を知らない人もいるかもし れないが、感謝の気持ちを忘れるべきではない」などの声が寄せられた。

台湾と日本との深い縁を体現したような人生を送った張氏。カラオケの定番は千昌夫さん。日本の流行事情に最後まで関心を寄せ、後年、日本を訪れるたび、 100円ショップでの買い物に何時間も費やすこともあった。

日本と航空路線の開設などをめぐって折衝をしてく中で、対中関係をことさら配慮する日本側の事情についても、張氏はよくよく理解していた。海運や航空事 業で、世界的なビジネスを展開していた張氏にとって、逆にいえば、日本は「多くの商売相手の中のひとつ」という位置づけであったともいえる。

張氏が台湾と日本の関係について語った、こんな言葉が池本氏の記憶に残っている。「台湾は人口わずか2300万人。日本との関係なくしては、どうにもな らない。だから日本にはもっともっと、しっかりしてもらい、台湾を引っ張っていってほしい」。

■張栄発(ちょう・えいはつ)■
1927年10月、台湾北東部・蘇澳生まれ。父は郵便局員や船員だった。北部の基隆に移り、少年期から日系海運会社に 勤務、夜間に商業高校に通う。複数の会社で一等航海士や船長を務め、61年、海運経営を始める。68年、長栄海運設立。コンテナ船事業に進出後、事業を拡 大。89年に台湾初の民間航空会社エバー航空を立ち上げた。85年、慈善団体の財団法人張栄発基金会を設立。平成24(2012)年、旭日重光章。16年 1月、死去。グループ傘下企業の売上高の合計は日本円で1兆円を優に超える規模で推移している。

East Japan great earthquake disaster(英語)
Il grande terremoto in Giappone orientale(イタリア語)




2018年3月7日水曜日

2018-03-07 aomori「市からのお知らせ」第381号◆アイルランド文化理解講座◆

就職・転勤や進学に伴う引っ越しなどで一時的に大量のごみが出る場合は、一度にごみ収集場所に出さず「少量ずつ複数回に分けて出す」「リサイクルショップの利用など再利用(リユース)を検討する」「清掃施設に直接搬入する」「自分で搬入できないときは収集運搬許可業者に収集を依頼する(有料)」などして処理するようご協力をお願いします。※引っ越しごみについての詳細は広報あおもり3月1日号をご覧ください。

☆★「イベント」に関する情報★☆

◆アイルランド文化理解講座◆
 アイルランドの祝日「セントパトリックスデー」について知りましょう! 当日は緑のものを身に着けてお越しください。
(1)10時00分~11時00分…アイルランドについて学ぼう!
(2)11時10分~12時10分…世界が緑色に変わる日「セントパトリックスデー」とは?
(3)13時00分~14時00分…親子ワークショップ「シャムロックハット」を作ろう!
〔日時〕3月10日(土)10:00~14:00
〔場所〕青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸 多目的(中)ホール
〔備考〕費用無料、人数…(1)(2)70人、(3)子どもと保護者40人(複数受講可/いずれも申込順)
〔申込み・問合せ〕3月9日(金)までに、交流推進課(TEL 017-734-5235)へ


☆★お知らせ★☆

◆印鑑登録手続及び自動交付機休止のお知らせ◆
3月17日(土)はシステムメンテナンスのため駅前庁舎市民課、浪岡事務所市民課における印鑑登録に関する手続き、また、駅前庁舎市民課、元気プラザにおける自動交付機の利用を休止します。ご理解とご協力をお願いします。
※印鑑証明書・住民票等の証明書は駅前庁舎市民課窓口、浪岡事務所市民課窓口で申請できますのでご利用ください。
〔問合せ〕市民課(TEL 017-734-5241)



○青森市ホームページ
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○携帯サイト「青森市mini」
http://www.city.aomori.aomori.jp/keitai-mini.html