主の祈り
天にまします我らの父よ。
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝(なんじ)のものなればなり。
アーメン。。。。。
主の祈り
天にまします我らの父よ。
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝(なんじ)のものなればなり。
アーメン。。。。。
台湾の国民人の皆さん、本当にありがとうございます。
今日本は、左翼陣営の工作に晒されています。地上波を始めとする報道機関は、皆、中国の孫子の兵法がはびこっていて、侵略が合法的に浸透している次第です。現日本の政権は、宏池会という親中派の連中に乗っ取られている状態です。中国国交記念には、岸田総理は辞退を表明してますが、福田元総理、二回元幹事長などが出席を予定しています。バリバリの親中派です。。日本国を中国へ売り飛ばそうとしている連中です。
本当に困った状態です。この空気を打破するためには海外からの情報発信がとても重要になります。外側から(諸外国から)のファクトを日本国民に知らしめる必要は何よりの重要なこことです。そうしなければ日本の国民に伝わりません。是非、台湾の親日グループの方々に協力してほしいと思います。日本の特有の気質として、海外からの意見や、圧力が無ければ動かないという特徴が有りますから、日本を哀れと思ってい居る方がいましたら、海外からの声を日本政府に対して、突きつけていただけたら大変ありがたく思います。何卒よろしくお願いいたします。。。。
言葉になりません。菅さんしか居ないと思います。安倍さんのことをもっともよく知る人の一人です。願わくば、岸田を倒して、日本国を本来の自由民主国へと軌道修正できる唯一の自民党政治家ではないかとも思っています。このままでは日本国は岸田一派に翻弄され、中国へ売り飛ばされる懸念すらあります。これで、いんですか!!!菅さん。決断の時期を見誤ると大変な事態を国民に強いることに成るかもしれません。。。名ばかりの国益を守る会。ガス抜き会派。一度くらい日本を守ってみろと言いたくなります。自民党の8割はクズ、と言っている百田尚樹氏の発言に強く共鳴します。残りの2割を率いて、日本を本来の自由で、闊達な日本へと戻してほしいです。
近頃、日本に留学に来る中国共産党が、卒業後日本に在住しながら本国の中国人に対して、SNSなどを利用して不動産の販売を始めているケース多数確認されてきている。特に京都が多いらしい。
相互平等でない中国人が日本の不動産を買い漁っているということだ。日本人は中国の土地の取得はできない、何ともおかしなことが起こっている。上海電力にしても静かに日本の国土を侵食し始めている。
昔、バブル絶頂期時代の日本が、アメリカ国を買い取ってしまうのではないかというぐらい経済の力があった。その状況が時代を経て2022年の今、日本国に流れ込んでいる。当時と異なることは自由民主国ではない、国連常任理事国である専制国家中国だ。国際法は無視、力が全てだと言ってはばからない民族集団だ。またそれに加担する日本の国会議員や官僚、上場企業の経営者などが後押しをする事実。あまりのも酷い有様が参議院選挙で浮き上がってきた。
自民党参議院岡山選挙区の小野田紀美議員の国会での質問を皮切りに、中国に対するこれでもかという優遇措置が表面化し騒ぎになっている。
文部省が募集する留学生制度だ。
1、奨学金:月額142,500円(年171万円)
2、授業料:国立大学(全額免除)
公立・私立(年約52万円文科省が負担)
3、渡航費用:航空券支給(北京→東京:111,100円)
4、帰国費用:奨学金支給期間終了後、所定の期日までに帰国する場合は貢献を支給(渡航費用と同額)
5、渡日一時金支給:25,000円
6、宿舎費補助:月額9,000円または12,000円(年14.4万円)
7、医療費補助:実費の80%を支給
合計額は年262万円
4年間で1048万円
しかも返済不要ときている。。。。。
この実態が明らかになる前に、留学生は日本宝と発言した人物がいた。なんと岸田文雄だ。一体お前は何処の国の総理大臣なんだ。日本国籍の学生は奨学金という名の借金を負わされ、返済に追われ四苦八苦しているのが実情だ。
あまりにも酷い有様だ。完全に中国共産党乗っ取られているじゃないか。既存の野党政党はモリカケだ桜だ、どうでもいいことに時間を浪費し重要案件には無関心、無視を決め込む有様。立憲民主、共産党、民社、間抜け集団を晒す有様だ。それに加え、上海電力を始めとする日本国内の土地買収、年々その買収面積は拡大傾向を加速させている。尖閣におけるサラミ戦略のごとく静かに侵食が既成概念化している現実を自民党参議院議員の小野田紀美氏が質問したのだ。
まさか日本国がこんなにも中国共産党に侵略を受けているとは思っても見なかったが、尖閣の領海侵犯に沈黙する中国共産党LOVEの公明党が牛耳っている、国土交通省管轄の海上保安庁の動きを見るにつけ納得してしまう自分がいる。尖閣へ向かう日本漁船に対してはこれでもかという妨害活動するが、中国海警に対しては73日間連続でEEZや領海侵犯をしても警告の連発を発するだけだ。政府は遺憾砲で後押しするが、中国共産党は馬の耳に念仏だ。今日も続く、海上保安庁の警告砲、明日も続く海保の警告砲は尖閣の空に虚しく響くだけだ。
では何故、ここまで中国共産党が大手を振って日本近海に出張ってくるのか。以前にもあった中国漁船の小笠原諸島のサンゴの密猟だ。これに味を占めたのだ。日本は何も出来なことを晒してしまったからだ。これは日本国内でも工作活動が順当に機能していることの証明でもあった。
日本の中枢、国会や霞が関に入り込んだ工作員のなせる技としか思えない。近衛内閣時代のゾルゲ、元朝日新聞の尾崎秀実、保守の仮面をかぶったコミンテルンSPYやデュープスが、一体どれくらい潜んでいるのか想像もつかない。
多数を持っている与党自民党、公明党には既存野党は太刀打ちできないくらい巨大化したネットワークが存在しているのだろうと考えざる負えない。自民党内の赤軍派、現政権岸田の顔ぶれはまさに中国共産党の出店の様相を呈していることは言うまでもない。
意味不明の新しい資本主義を提唱している岸田。今だに何が新しいのかはっきりしない。ただ言えることは、国益を衰退へ向かわせていることだけははっきりしている。電力、燃料、産業のベースコストが異常に高すぎることだ。これでは産業の競争力は全くつかない。電気がなければ何も出来ないからだ。こんなことは中学生でも分かる話だ。真剣に取り組まない日本政府、木で鼻をくくった、国民をバカにするような電力ポイントの付加、舐めんとんのか、と叫びたくなる愚策。岸田は外務大臣時代からポンコツだったが、総理大臣になってからは、輪をかけてポンコツになった。一体誰が売国岸田に首輪をけるのか。この状態があと3年続いたら、日本は加速度的に衰退していくことになる。
ワイマールで正式な手続きを踏んだヒトラー。自民党に潜んでその実態を隠していた宏池会、蓋を開ければ中国共産党絡みの団体や企業との怪しげな関係、などなど。。。。だ。。。
今日はこれでおしまい。。。。
報いる
報いるとは、受けたこと、されたことに対して、やり返すことである。
==「一矢を報いる」、これは攻撃や非難などを受けた時に、反撃をしたり、反論することをさす。仕返しをするという意味で用いられることが多い。
酬いる
酬いるとは、受けた恩などに対し、お礼としてお返しをすることである。
==「報酬」「酬恩」など、お返しの際に用いられることが多い。
ポーランド国立ショパン音楽大学の1枚の写真から。鍵盤の下地が出るほどの練習をしたピアニスト。それを何十年も見てきたピアノ。ピアノの鍵盤は交換したほうが良いような気がする。
物を大切にすることと大事にすることは違う。
例えとして、神社仏閣の修復が参考になるかもしれない。
毎日心を込めて掃除や手入れをしていても、経年劣化という現象を止めることは出来ない。そこで修繕、修復という手入れが必要になる。傷んだ柱全体を交換するやり方、傷んだ柱を残しながら元の姿に戻すやり方。神社仏閣を建て替えるやり方。この違いは物に対する思いの深さや大きさに違いがある。今回のピアノの鍵盤の場合は、鍵盤全体を交換するのか、劣化の激しい鍵盤だけを交換するのか、新しいピアノにするか。このピアノとピアニストにとってどの選択がベターなのでしょうか。
私にはわかりませんけど・・・・
鍵盤を交換したほうが、ピアノは喜ぶのではないかと思う。。。
PIANO PHOTO
https://grapee.jp/1128793
専守防衛は日本国内が戦場になるということだ、ということを分かっているのだろうか。仮にイスラエルのアイアンドームで日本国内をカバーしても、防ぎきれないミサイルは国内のあちらこちらに着弾する。
あなたの家の前に爆弾が落ちるということだ。戦場は日本なのだ。
一方的に破壊されるだけの街並み。当然、民間人の被害もでる。長期戦になればなるほど、専守防衛をする日本の被害が累積していくことになる。
敵国へ侵攻しないのが専守防衛だ。敵軍を国境まで押し戻し、敵軍の戦力を破壊する作戦しか取れないわけだ。ウクライナとロシアの都市破壊の状況は、圧倒的にウクライナの都市被害が大きい事実を直視せよ!!!
ウクライナの痛恨の極みは、核の放棄と通常戦力の減力だ。国連常任理事国であるロシアが国連憲章を無視しての侵攻だ。まさに大東亜戦争終結時、ポツダム宣言受諾後の日ソ不可侵条約破棄での日本に対しての宣戦布告と同じだ。専制国家とは独裁者の気分次第なのだ。
第二次世界大戦、ソ連時代の日ソ不可侵条約の反故、今回のウクライナに関しては、国連憲章、第1条1項の無視。守るべき国連憲章を常任理事国自身が否定した事実。ちなみに同じ穴のムジナの中国も、南沙諸島での人工島の造作運営に関しても、フィリピン提訴の中国の南シナ海領有権主張は、法的根拠なしと常設仲裁裁判所が下した判決も、ただの紙屑だと言って一蹴した。
専制国家とはこういうものだ。大韓民国もこの手の部類だ。時代は次のフェーズに移った。人民服を着て自転車に乗っているチャイナ人は、もういないのだ。
中華人民共和国、ロシア連邦、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国。
この4地域は、そっくりじゃないですか。
日本はこの様な蛮族が支配する地域と対峙している危険性を、専守防衛という日本国内が戦場になるという自覚と覚悟を持たなければならない。
国連憲章、第1条1項。
国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至るおそれのある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。
1、常に自分が正しいと認識している為、人の話は聞かない。少しでも自分の考えにそぐわない意見には、真っ向から否定し自身の正当性を誇示する。
2、明確なエビデンスを提示しても自分に非があるとは認識せず、他の理由を探し、どんなに間違っていても、自分の非を認めないため謝罪することもない。つまり、間違っていると言われても、それを認めることはない。
政界、財界、マスゴミ界には、うじゃうじゃいる。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/84986
凍死者の亡霊は、今も“そこ”にいる…八甲田山で発生した「怪事件」の一部始終
本当にあった怪奇事件簿⑥ その2
朝里 樹(あさざと いつき:怪異妖怪愛好家・作家)
1902年1月23日に起こった「八甲田雪中行軍遭難事件」。青森県の雪山にて、日本軍の兵士199人が死亡するという悲惨な出来事だった。事件直後から、青森県では「兵士の足音を聞いた」「幽霊を見た」といった怪談が相次いで報告されているという。
兵士たちの亡霊が現れた
有名なのは先述の新田次郎が『八甲田山 死の彷徨(ほうこう)』を書くために事件の取材をしていた際に聞いたという、彼の取材ノートに残された話だ。
それによれば雪中行軍隊が遭難した直後、青森連隊駐屯地の衛兵詰所でしばしば亡霊の足音が聞こえたという。この騒ぎは次第に広まり、衛兵を恐怖のどん底に叩き落したので、ある夜、連隊長が衛兵詰所に来て亡霊を待ち、明け方近くなって亡霊がやって来ると、声を張り上げて言った。
「雪中行軍隊の亡霊たちよ、よっく聞け。お前らの死は無駄ではなかった。お前らの死によって、厳寒期の軍装は大改革されることになったぞ。お前らは戦死者と同様に扱われ、靖国神社に合祀されることになったのだ。迷うな、心安くして眠れ。二度とこの屯営に現れることはこの連隊長が許さないぞ」
そして連隊長は軍刀を抜いて「青森歩兵第五連隊雪中行軍隊、回れ右、前へ進め!」と号令をかけた。
すると足音は次第に遠ざかり、以来一度も聞こえることはなかったという。
新田次郎が紹介したこの話は有名になり、以降様々な媒体で語られることになった。ただ実際には事件の犠牲者を靖国神社に合祀するという方針はあったものの、最終的には否決され、現在のところ彼らは靖国神社には祀られていない。
今帰ってきた、今帰ってきた
また、1973年(昭和48年)出版の北彰介編『青森県の怪談』においては、この遭難事件が起きた後、兵営の歩哨が吹雪の夜に、遠方から大勢の「寒い、寒い」という声とともに、「歩調取れ、かしらー右」と言って入って来る一団の軍靴の音を聞いた、という話が記録されている。
新田次郎が紹介した話では「回れ右、前へ進め!」という号令は生者が発したものだったが、この話では亡者の発する声のひとつとされている。青森県内でもいくつかのパターンの怪談が語られていたのだろう。
また、先述の『凍える帝国』によれば、兵舎に兵士の幽霊たちが現れる怪談は雪中行軍の出発直後から語られており、事件発生から間もない1902年(明治35年)2月6日には、「万朝報」(明治時代、東京で創刊された日刊新聞)に既に「凍死軍隊の幽霊」と題された記事が載せられていたという。
それによれば同年の1月24日の夜から、ほとんど毎夜のように歩兵第五連隊の第二大隊の兵舎の電灯が消え、また明るくなった。やがて廊下を踏み鳴らす十数人の靴音が聞こえ、どこからともなく「今帰ってきた、今帰ってきた」という声が聞こえてくる。驚いてそれを聞いた人が外に出てみると、たちまち物音は消え、人の影もない。
時として鉄砲を持ち出す音が各室に響くこともあれば、雪に埋もれる庭に進軍軍歌の声が響くこともあったという。兵士たちは心が静まらず、夜が明けるのを待って戸外へ出るが、何の名残もなく、怖がりな者は一睡もできなかったという。
また同記事では、1月25日の夕方に興津景敏大尉の官舎の玄関から外套の雪を払う音が聞こえてきたと伝えている。そこで夫人が出迎えると、大尉が立っていて「今帰った」と言う。しかし夫人が下女に焚火の用意をさせているうちに大尉の姿は消えてしまったという。
興津大尉はこの事件で犠牲になった人物の一人だ。八甲田雪中行軍遭難事件に纏わる怪談は初期のものは何らかの声や音が聞こえた、というものが多いが、この話のように幽霊が姿を現したという話もあったようだ。
兵士の霊に遭遇したカップル
そしてこの事件によって語られるようになった幽霊は、100年以上の時を経た今でも現れるという。近年有名な話は以下のようなものだろう。松谷みよ子編著『現代民話考2 軍隊・衛兵検査・新兵のころ』を参考にその概要を示そう。
あるカップルが八甲田山の「旧歩兵第五連隊雪中行軍記念像」を訪れた。この像は八甲田雪中行軍遭難事件にて生還した一人、後藤房之助伍長が山中で発見された際の姿をモデルに立てられた像で、事件の犠牲になった人々を慰めたものだという。
この像が立っている場所は今では観光地のひとつとなっている。この像を見た後、カップルの女性が付近のトイレに寄った。男性は車で待っていたが、何か物音が聞こえてきたため、目を凝らすと雪中行軍の兵士たちが闇の中から行進してきている。男性は思わず車を走らせ、逃げ出したが、置いてきた女性のことを思い出したのか、人を連れて山に戻ってきた。
既に幽霊はいなくなっており、男性は急いで女性のいるトイレに向かって声をかけたが、返事がない。そこで恐る恐る覗いてみると、女性は気を失って倒れており、あまりの恐怖のためかその髪は真っ白になっていた。それから女性は記憶を失い、その記憶は今も戻っていないという。
同書では、この話は1995年(平成7年)7月に語られたもので、さらに当時から10年ほど前にあった事件の話とされていた。実際にこの話がいつごろからあるのかは分からないが、現在でも旧歩兵第五連隊雪中行軍記念像を訪れたカップルが幽霊に遭遇するという話はよく語られている。
『凍える帝国』によれば、他にも「山中で兵士に道を聞かれた」「肩を叩かれた」という話もあったという。このように近年では、八甲田山を訪れた人々が山をさ迷う幽霊と遭遇するという話が多い。
八甲田山から来た「謎の119番通報」
そして2014年(平成26年)、八甲田山の亡霊たちが新たに注目される怪事件が起きた。
同年5月17日深夜のこと、八甲田山の無人の別荘から119番に通報があった。しかし電話の向こうからは「ざーざー」というノイズ音しか聞こえず、通報者が電話機の前で意識を失っている可能性があったため、消防隊員が現場に向かった。しかしその別荘には人が入った形跡はなく、119番通報の発信元であろう黒電話も受話器が置かれたままであったという。
この不可思議な事件は人々の想像を煽り、八甲田山という現場から八甲田雪中行軍遭難事件の兵士の霊が助けを求めて119番に通報したのではないかという噂が流れた。
この事件は電話線トラブルによるものとされているが、今も幽霊たちの仕業と信じる人も多いようだ。
八甲田雪中行軍遭難事件は来年で発生から120年目を迎える。当時の事件の被害者を直接知る人間はもういない。彼らの姿を知る者も少ないだろう。
それでも人々は八甲田山に彼らの亡霊を見るだろう。
それは山を彷徨する無念の死者たちの魂なのだろうか。それとも我々が雪山に見る幻なのだろうか。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/84985?imp=0
199人が雪山で凍え死んだ…世界最大級の「遭難事件」の救われない現実
本当にあった怪奇事件簿⑥ その1
朝里 樹(あさざと いつき:怪異妖怪愛好家・作家)
八甲田山で起こった悲惨な遭難事件
1902年(明治35年)1月23日、青森県の八甲田山にて、雪中行軍の演習が行われた。
対象になったのは日本陸軍第八師団青森歩兵第五連隊。来るロシアとの戦いに備え、厳寒地での行動に慣れるための訓練として始まったこの演習は、予想外の大惨事を引き起こすことになった。
今から100年以上前に起きたこの「八甲田雪中行軍遭難事件」と呼ばれる事件は、今でも映画や文学の題材となり、よく知られているところだ。今回はこの事件そのものや、事件が与えた影響を追った丸山泰明氏の著書『凍える帝国』を参考に、改めて事件の概要を記してみよう。
1月23日の朝6時半、歩兵第五連隊210名は穏やかな天候の下、青森連隊駐屯地を出発した。しかし天候は次第に悪化し、昼食の握り飯が凍り付いて食えない程の吹雪となった。この時、既に帰営するという意見もあったが、歩兵第五連隊は前進を選び、先の見えない雪景色の中を進んでいった。
しかし午後8時頃には既に露営地として設定していた田代の温泉宿に辿り着くことは不可能と判断され、露営が命じられる。しかし雪濠を作ろうにも2メートル以上掘り続けても土が見えず、仕方なく雪の上で炊事を行うと火が雪を溶かし、うまくいかない。気温は氷点下20度を下回り、酒も凍り付き、兵士たちは凍死を防ぐためにほとんど仮眠もとらずにいた。
この時、大隊長であった山口少佐が部下の神成大尉に帰営を命じたが、時は翌24日の午前1時で、まだ日が昇る時間ではなかった。午前2時半、雪中行軍隊はその暗闇の中を出発するも、すぐに進むべき道が分からなくなる。しかし彼らは帰路を求めてひたすらに進んだ。
風雪が激しく彼らの体に打ち付け、顔は凍り付き、手足の指は凍傷を発症し、やみくもな帰営は兵士たちの体力を急激に失わせていった。
やがて25日の朝が来た頃には全体の三分の一が既に命を、もう三分の一が凍傷によって体の自由を奪われていた。残る三分の一は比較的健全であったが、生き残った者たちは救援隊の集団幻覚を見るほど追い詰められていた。そして翌26日には、生き残っているのはたった3、40人となっていた。
199人もの兵士が死亡した
また、救援活動は24日には始まっていたが、第五連隊が見つかったのは27日になってからだった。最初に発見されたのは、雪の中で仮死状態のまま立っていた後藤房之助伍長で、軍医の手当てによって回復した後、雪中行軍隊の状況を伝えた。
それから捜索が進められ、雪の中に倒れている兵士が2人発見されたものの、激しくなる吹雪に阻まれ、本格的な救援活動は28日からとなった。
そして28日以降、大人数の救援隊が組織され、捜索が行われたが、雪中行軍隊210人のうち、生存したまま救助されたのは17人のみだった。さらにそのうち6人は病院に入院後、治療の甲斐なく死亡し、最終的に生きて帰ることができたのはわずか11人であったという。
また生き残った者たちの中でも、8人は凍傷のために手足を切断することになった。
生存者は2月2日以降発見されることはなく、そこからは遺体の捜索が行われたが、雪山での捜索は限界があり、最後の死体が見つかったのは雪も解けた5月28日であったという。
当時から「大ニュース」だった
この事件は当時から全国的なニュースとなり、遭難発覚後、新聞は連日事件の経過を報じ続けた。紙面では、遺体の発見や遺族による葬儀の様子などが報道された。また雑誌もこの事件を取り上げられ、多くの人々に知られることとなった。
この他にも東京の浅草では事件を再現したジオラマ(パノラマを発展させた視覚装置で、箱の中に透視図法による情景画と展示物を置き、覗くと色がついた照明などの効果により立体的な風景を生み出した装置)が、まだ遺体捜索中の2月29日に公開され、娯楽として提供された。
また2月2日にはこの事件を題材とした演劇が上映され、人気を博した。当時はリアルタイムで実際の出来事が題材にされた演劇が興行されるのは当たり前のことだったという。
このようにして、八甲田雪中行軍遭難事件はその悲惨な様相が報道されるとともに、娯楽としても人々の関心を買った。しかし現代の人々にこの事件が知られているのは、小説及び映画の影響が大きいだろう。
1971年(昭和46年)、作家の新田次郎がこの事件を詳細に取材し、『八甲田山死の彷徨』という小説を書き上げた。そしてこの小説を原作として、1977年(昭和52年)、映画『八甲田山』が公開される。
この映画は当時の日本映画における歴代配収新記録を打ち立てた。またこの映画で北大路欣也氏が演じた神田大尉の「天は我々を見放した」というセリフは当時の流行語になったという。
このように八甲田山における遭難事件は全国的に知られる事件となっている。一方、計199人もの死者を出したこの事件は、多くの怪談も生み出した。
それが、死んだ兵士たちが現れるという怪談だ。