ゾルゲ事件の真相、その衝撃
1930年代、第二次世界大戦の影が色濃くなる日本で、歴史を揺るがす大事件がひっそりと進行していた。
ゾルゲ事件。
ドイツ人ジャーナリストとして、リヒャルト・ゾルゲを中心に、日本の政界中枢にまで食い込んだソ連のスパイ網が、日本の極秘情報をソ連へ送り続けていた事件だ。
ゾルゲは、1933年に新聞記者として来日。その裏で、ソ連の諜報員として活動を開始した。彼の組織「ラムゼイ機関」には、日本を代表するジャーナリストで、近衛文麿首相のブレーンでもあった朝日新聞、尾崎秀実、アメリカ共産党員の宮城与徳、そしてドイツ人無線技師のマックス・クラウゼンらが名を連ねていた。彼らは、日本の外交、軍事、そして政治の最も機微な情報を次々と入手。特に、日本がソ連への侵攻、北進ではなく、東南アジアへの進出、南進を選んだという情報は、ソ連の独ソ戦における戦略に、多大な影響を与えたと言われている。
しかし水面下の活動にも限界が訪れた。1941年、太平洋戦争開戦直前、ゾルゲたちの活動は日本の特高警察によってついに公の知るところになった。同年9月から10月にかけて、主要メンバーを含む35人以上が次々と逮捕、事件の全貌が露呈したのだ。
日本の司法はゾルゲと尾崎に死刑を宣告。1944年11月7日、二人は処刑された。他の関係者もまた、有罪判決を受け、中には獄中で命を落とした者もいた。
改めてゾルゲ事件を振り返ると、当時の日本にとって、とてつもなく大きな衝撃を与えたことは間違いなく。国家の最高機密が、外国のスパイによって筒抜けになっていたという事実は、戦後の歴史研究においても重要なテーマであり続けている。特に、ゾルゲがソ連に送った情報が、独ソ戦の戦局を左右したとする「ゾルゲ神話」は、今なお語り継がれているからだ。
戦後、長らくその存在が忘れ去られていたゾルゲ事件だが、ソ連崩壊後に公開された機密文書などにより、事件の新たな側面が明らかになり、その歴史的意義は再評価されつつある聞く。
ゾルゲ事件は、単なるスパイ事件としてだけではなく、激動の時代を生きた人々の運命、そして国家間の情報戦の熾烈さを物語る、実に重要な出来事として記憶されている。
歴史には「IF」は存在しないが、あえて言わせてもらえば、ソ連が対峙するドイツは西側から、ドイツの同盟国であった日本は極東に位置していた地政学的脅威から、ソ連には二正面対峙する国力は無かった。日本がドイツの呼応に応じ、アジア南進から方向転換し、東西から攻撃を開始し始めていれば、戦局は180度、違った物に成ったのではないかと思っています。シベリア抑留、本質は拉致、奴隷的扱いを受ける日本人は居なかったかもしれない。
諜報活動、工作活動、これらの行動は深く静かに進行し、日本人を分断する。ゾルゲや、朝日新聞、尾崎秀実、というSPYや売国奴、私は容認することはできない。