2026年4月10日金曜日

2026年2月8日(日)、本日は衆議院選挙投票日です。

 2026年2月8日(日)、本日は衆議院選挙投票日です。

衆議院選挙と国会議員について、思うことを書き記す。
現代の日本における衆議院選挙制度、そしてそれを取り巻く政治の在り方について、私は深い憤りと消し去ることのできない疑問を抱いている。青森県には現在三つの小選挙区が割り振られ、それぞれの区から一人の代表が選出される仕組みとなっているが、この「区割り」という壁が、有権者の純粋な意志を著しく阻害している事実は否めない。同じ青森県という土壌に暮らしながら、隣の選挙区にどれほど国家の行く末を託すに足る人物がいたとしても、今の制度ではその人物に一票を投じることすら許されない。これは、民主主義の根幹である「代表を選ぶ自由」を、行政上の都合や政党の陣取り合戦という論理で縛り付けていることに他ならない。
そもそも国会議員、特に衆議院議員の最大の使命とは何であろうか。それは地元の道路を舗装したり、特定の業界に補助金を引っ張ってきたりすることではないはずだ。国家の根幹を成す「外交」と「国防」、そして国際協調に基づいた健全な「経済」の舵取りこそが、彼らが果たすべき真の職責である。憲法においても国会議員は「全日本国民の代表」と定義されている。しかし、現実の小選挙区制度は、議員を「地域の御用聞き」へと矮小化させてしまった。議員たちは次の選挙で生き残るため、国家百年の計を語るよりも先に、地元の有力者の顔色を伺い、利権の再配分に奔走する。この構造こそが、政治から高潔な理想を奪い去った元凶である。
さらに目を向けるべきは、政治家たちの凄まじいまでの「保身」と「利権」への執着だ。現在の国会を眺めていると、まるで泥棒自身が自分たちを裁く法律を作っているかのような錯覚に陥る。自分たちの財布を肥やすための政治資金のルールを自分たちで決め、不祥事が起きても身内に甘いザル法で茶を濁す。そこには国益という視点は微塵もなく、あるのはいかにして権力を維持し、利権から「金」を吸い上げるかという浅ましい計算ばかりである。他国の汚職文化を笑うことなど到底できないほど、日本の政治の中枢もまた、形を変えた腐敗に沈んでいるのではないか。
その最たる弊害が、近年の移民問題や労働政策に現れている。本来、適正な賃金を支払えない企業は市場原理によって淘汰されるべき存在である。しかし、国会議員に「鼻薬」を効かせることで、安価な労働力を外部から調達し、健全な賃上げや企業の近代化を回避しようとする歪んだ構造が温存されている。これは、特定企業の延命のために国家の未来を切り売りしているに等しい。国益を無視し、目先の人気取りと保身のために制度を私物化する政治家たちの姿は、もはや国民の代表とは呼べない。
今の日本に必要なのは、住所という物理的な境界線に縛られた「地域の利害調整者」ではない。たとえ選挙区がどこであれ、優れた国家観を持ち、外交と国防に命を懸けられる人物を、国民が直接選べる仕組みこそが、国政のあるべき姿であるはずだ。利権の鎖を断ち切り、保身に走る「泥棒」たちを排除するためには、この不自由な選挙制度の壁を問い直し、真に国益を語れる人材に光が当たる土壌を取り戻さなければならない。私たちが直面しているのは、単なる制度の不備ではなく、この国の精神的な荒廃そのものなのである。立憲民主、公明党の成れの果てを。。。見なはれ。。。。。