大韓民国は近年、オリンピックやW杯といった国際スポーツ大会、国際条約の履行、戦時補償問題、さらには外交の場において、たびたび他国との摩擦を引き起こしてきた。その際に見られる一貫した姿勢は、「自国に非はない」とする自己正当化と、「原因は他者にある」とする責任転嫁であり、結果として国際社会からの信頼を著しく損ね、“世界の鼻つまみ者”として扱われつつあるのが現実である。
こうした行動様式の根底には、李氏朝鮮時代から受け継がれた儒教的“両班思想”の影響が強く残っている。元来、儒教は「己に克ちて礼に復る(おのれにかちてれいにかえる)」を根本とし、謙虚さ、誠実さ、自己省察を尊ぶ教えである。自らを律し、過ちを認め、他者に対する礼を尽くすことこそが、儒者の理想とされた。
しかし、大韓民国に継承された儒教は、その本質から逸脱し、両班的な“選民意識”へと変質した。そこでは、自らを常に道徳的上位に置き、失敗や非難はすべて「格下」の他者に押し付け、責任を取らない姿勢が当然視されてきた。この歪んだ儒教理解こそが、現代の国家的振る舞いにも色濃く投影されている。
私が「世界の鼻つまみ民族」という表現を用いるのは、決して蔑視や差別を目的としたものではない。むしろ、世界からの正当な批判を頑なに受け入れようとせず、反省も対話も拒む態度にこそ問題があると考えている。これは、文化や宗教の問題というよりも、それらを都合よく解釈し、責任を回避する精神構造の問題である。
自国に不利な歴史は隠蔽し、他国には高圧的に道徳的優位を求める。そのような態度では、経済的な成長があっても、国際社会からの信頼や敬意は得られない。儒教本来の精神に立ち返り、謙虚に己を省み、誠実な対話を重んじる姿勢がなければ、「鼻つまみ者」という評価は今後も覆らないだろう。