2026年4月10日金曜日

理趣経「十七清浄句」口語体読経訳

 理趣経「十七清浄句」口語体読経訳


サンスクリット(梵語)→漢語→漢文→日本語は???どこに行ったの!

神道の「祝詞」は、聞いていてなんとなく分かるが、仏教の「読経」は何を言っているのか、さっぱり分かりません。

下記の呪文のような文言は、ざっくり言ってしまえば、「今日のお月様には笠がかぶっている」というようなイメージだ。

でも、その背景には複雑な事実が存在するわけです。それを解説するのが「僧侶」の主たる役目のような気がします。

高野山ではありませんが、比叡山のお教ではありませんが、「一隅を照らす」、という一言に付きる様な気がします。

様々な「一隅」。それぞれに、それぞれの、背景があるということだと思います。

それらを内包するのが「経」であり、単純化、簡略化した「呪文」なのではないかと思ってます。

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理趣経「十七清浄句」

妙適淸淨句是菩薩(びょうてきせいせいくしほさい)

この性の喜びも、本来は清らかで、それこそが、生きとし生けるものを救う、菩薩の境地なのだ。

慾箭淸淨句是菩薩位(よくせんせいせいくしほさい)

この欲の矢も、本来は清らかで、それこそが、生きとし生けるものを救う、菩薩の境地なのだ。

觸淸淨句是菩薩位(しょくせいせいくしほさい)

この触れる感覚も、本来は清らかで、それこそが、生きとし生けるものを救う、菩薩の境地なのだ。

愛縛淸淨句是菩薩位(あいはくせいせいくしほさい)

この愛着のきずなも、本来は清らかで、それこそが、生きとし生けるものを救う、菩薩の境地なのだ。

一切自在主淸淨句是菩薩位(いっせいしさいしゅせいせいくしほさい)

この一切を思いのままにする支配欲も、本来は清らかで、それこそが、生きとし生けるものを救う、菩薩の境地なのだ。

見淸淨句是菩薩位(けんせいせいくしほさい)

この見る眼差しも、本来は清らかで、それこそが、生きとし生けるものを救う、菩薩の境地なのだ。

適悅淸淨句是菩薩位(てきえっせいせいくしほさい)

この心地よい満足も、本来は清らかで、それこそが、生きとし生けるものを救う、菩薩の境地なのだ。

愛淸淨句是菩薩位(あいせいせいくしほさい)

この深い愛も、本来は清らかで、それこそが、生きとし生けるものを救う、菩薩の境地なのだ。

慢淸淨句是菩薩位(まんせいせいくしほさい)

この誇り高ぶる心も、本来は清らかで、それこそが、生きとし生けるものを救う、菩薩の境地なのだ。

莊嚴淸淨句是菩薩位(そうげんせいせいくしほさい)

この身を飾る行いも、本来は清らかで、それこそが、生きとし生けるものを救う、菩薩の境地なのだ。

意滋澤淸淨句是菩薩位(いしたくせいせいくしほさい)

この心の潤いも、本来は清らかで、それこそが、生きとし生けるものを救う、菩薩の境地なのだ。

光明淸淨句是菩薩位(こうべいせいせいくしほさい)

この輝く光も、本来は清らかで、それこそが、生きとし生けるものを救う、菩薩の境地なのだ。

身樂淸淨句是菩薩位(しんらくせいせいくしほさい)

この体の快楽も、本来は清らかで、それこそが、生きとし生けるものを救う、菩薩の境地なのだ。

色淸淨句是菩薩位(しょくせいせいくしほさい)

この美しい色も、本来は清らかで、それこそが、生きとし生けるものを救う、菩薩の境地なのだ。

聲淸淨句是菩薩位(せいせいせいくしほさい)

この心地よい音も、本来は清らかで、それこそが、生きとし生けるものを救う、菩薩の境地なのだ。

香淸淨句是菩薩位(きょうせいせいくしほさい)

この良い香りも、本来は清らかで、それこそが、生きとし生けるものを救う、菩薩の境地なのだ。

味淸淨句是菩薩位(びせいせいくしほさい)

この美味しい味も、本来は清らかで、それこそが、生きとし生けるものを救う、菩薩の境地なのだ。

理趣経が伝える**「煩悩即菩提」**という思想