【産経抄】2018-12-16(日)
米国暮らしの長かった絵本作家の八島太郎さんに、人柄のにじむ挿話がある。久々の帰国で〈飛び出すな車は急に止まれない〉の交通標語を目にし、「話が逆だ」とこき下ろした。「〈飛び出すぞ子供は急に止まれない〉がほんとじゃないかね」。
▼阿川弘之さんの『エレガントな象』から引いた。言われてみれば、日本の交通事情は違和感に満ちている。横断歩道前で立ち止まるその多くが、車ではなく歩行者という現実がある。運転手が歩行者の飛び出しを疑わず、好意に甘えているとすれば妙な社会である。
▼危険運転を処罰する法律の条文にしても、用いる側の想像力の乏しさが透けて見える。東名高速道路で昨年6月、石橋和歩被告(26)が度重なるあおり運転で後ろの車を止め、夫婦を死に追いやった事件である。懲役18年の判決にもなお、わだかまりを拭えずにいる。
▼速度ゼロの状態で招いた事故を、判決は危険運転致死傷罪の要件となる「重大な危険を生じさせる速度」とは言えない-とした。時速100キロで流れる車列の中、無理に止められた夫婦の目に何が映ったか。脇を走り抜ける車は、凶暴な鉄の塊そのものだったろう。
▼死と背中合わせの危険な行為さえ、裁けない「速度ゼロ」の壁がある。懲役18年が結果の重さを映した判決だとしても、遺族にとって失われた命の重さに見合う量刑とは言えまい。新たな危険運転を生まないためにも法の破れ目を繕い、厳罰を構えていくほかない。
▼昨年の交通安全川柳の一句を思い出す。〈事故ってさ「起こす」ではなく「防ぐ」もの〉。法の備えと、車間距離にも似た心の余白と。次の加害者にならない心掛けが、被害者のない明日を生む。涙の上に浮かぶ交通社会では、「話が逆」だろう。