【産経抄】2018-12-11
日本の女子フィギュアスケートの歴史を遡(さかのぼ)れば、稲田悦子さんに行き着く。1936年に行われたガルミッシュパルテンキルヘン(ドイツ)冬季五輪に、日本女子として初めて出場した。
▼「あの少女は何をしにきたのか」。ロイヤルボックスにいたヒトラーが、身長130センチに満たない12歳の少女が入場行進するのを見てつぶやいたという。それでも26人中10位の成績だった。メダルが期待された次の冬季五輪は、戦争の影響で中止となる。
▼戦後、指導者となった稲田さんだが、この競技で日本人が勝つのは難しいと思っていた。スタイルも表現力も欧米の選手にはかなわない。考えが変わったのは、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)が登場してからだ。
▼89年の世界選手権で、伊藤みどりさんが最高難度のジャンプに成功し、日本人として初めて世界チャンピオンの座についた。稲田さんは、トリノ五輪での荒川静香さんの金メダルを見ることなく、平成15年に79歳で亡くなった。トリプルアクセルを受け継いだのは、幼い頃から伊藤さんにあこがれていた浅田真央さんである。
▼カナダ・バンクーバーで開催されたグランプリ・ファイナルを制したのは、かつて浅田さんに手紙とぬいぐるみをプレゼントした紀平梨花選手(16)だった。シニア初年度の優勝は、浅田さん以来の快挙である。フリーの冒頭での失敗に動じず、2回目のトリプルアクセルを見事に決めた。もはや日本のお家芸といっていい。
▼稲田さんの記憶に強く刻まれたのが、当時のトップ選手の姿だった。夜明け前のリンクで、ただ一人練習を繰り返していた。「世界一になるには努力しかない」。北京五輪での優勝という夢に向けて、紀平選手の努力はすでに始まっている。。