第12話
「宿命の再会」
京では、朝廷に不満を持った僧侶たちが、武装をして神輿(しんよ・みこし)を担いで訴える強訴(ごうそ)がますます盛んになっていた。平氏一門は武力と財力で僧兵らを退け、鳥羽院(三上博史)の期待に応え続けても、忠盛(中井貴一)が公卿(くぎょう)に出世することは許されなかった。
ある日、清盛(松山ケンイチ)の館に僧衣の高階通憲(阿部サダヲ)が訪ねてきた。能力がありながらも出世できない不条理な世に愛想がつきたため、出家して信西(しんぜい)と名乗っているという。
忠盛の館では清盛の弟・平五郎が元服し、頼盛(西島隆弘)と名乗るようになった。武士として頼盛を導けという忠盛の言葉に清盛は、妻・明子(加藤あい)を死なせた疫病や飢きんを止められず、武士を相変わらず番犬扱いする朝廷への怒りをぶちまけた。
そのころ、清盛の館には明子の友人・時子(深田恭子)が清盛の息子たちの世話をしにたびたび訪れていた。それを知った時子の弟・時忠(森田剛)は清盛を訪ね、いきなり時子を後妻にするよう願いでる。あわてて時忠をいさめる時子に向かい、清盛はもう館に来ないでくれと頼む。明子を忘れられずにいたのだ。
しばらくした後、出家した待賢門院・璋子(檀れい)の元へ得子(松雪泰子)がおとずれ、なぜ黙って出家したのかを尋ねた。待賢門院は得子から人をいとしく思う気持ちの激しさを教わったといい、それを持てなかったことを悔いた。得子は待賢門院から全てを奪うことはできなかったと実感した。
1145年、待賢門院は重い病で床についた。鳥羽院は取り乱し、待賢門院を慰めるために、季節外れの水仙を探すことを配下の武士に命じる。清盛は反発するが、家盛(大東駿介)に説得され、一門のために水仙を探すことを決意。京の野山をかけまわる清盛の前に一人の精かんな武士が現れる。東国の武者修行でたくましくなった義朝(玉木宏)であった。義朝はすでに水仙を手に入れ、鳥羽院に届けるところだと告げて去った。そして、床に伏した待賢門院に鳥羽院は水仙を握らせる。待賢門院は最後に人をいとしく思う気持ちがわかったと言うと、泣き叫ぶ鳥羽院を残して息を引き取る。
源為義(小日向文世)は、息子・義朝の帰還を涙ながらに喜び、義朝はいよいよ源氏の名を京にとどろかせるときだと息巻いた。御所に呼ばれた義朝は、鳥羽院から今回の働きを褒められ、今後は京にとどまり励むよう言いわたされた。義朝は清盛と顔をあわせると、2人は平氏と源氏どちらが強いか言い合いになる。御曹司同士の戦いが幕を開けたのだ。
屋敷に帰った義朝を熱田神宮で出会った由良姫(田中麗奈)が訪ねてきた。義朝は東国で子どもをふたりつくったことを告げ、由良姫には嫡男を産んでほしいと言う。乱暴な言い方に反発しつつも、長年待ち続けた由良姫は涙を流し、ふたりは抱き合う。
一方清盛は、盛国(上川隆也)に呼ばれて再び館に来ていた時子を見ると、「もうそなたでいい」といきなり求婚した。あんまりな言い方に非難する時子だが言葉とは裏腹に体当たりするように清盛に抱きついた。かくしてふたりの御曹司はめでたく結ばれた。
1147年、義朝と由良姫には嫡男が生まれた。のちの源頼朝であった。そして清盛と時子にも子が授かった。のちの宗盛である。清盛が一門の繁栄を願うため祇園社を訪ねたが、そこで大きな事件が待ち受けていたのだった。
「宿命の再会」
京では、朝廷に不満を持った僧侶たちが、武装をして神輿(しんよ・みこし)を担いで訴える強訴(ごうそ)がますます盛んになっていた。平氏一門は武力と財力で僧兵らを退け、鳥羽院(三上博史)の期待に応え続けても、忠盛(中井貴一)が公卿(くぎょう)に出世することは許されなかった。
ある日、清盛(松山ケンイチ)の館に僧衣の高階通憲(阿部サダヲ)が訪ねてきた。能力がありながらも出世できない不条理な世に愛想がつきたため、出家して信西(しんぜい)と名乗っているという。
忠盛の館では清盛の弟・平五郎が元服し、頼盛(西島隆弘)と名乗るようになった。武士として頼盛を導けという忠盛の言葉に清盛は、妻・明子(加藤あい)を死なせた疫病や飢きんを止められず、武士を相変わらず番犬扱いする朝廷への怒りをぶちまけた。
そのころ、清盛の館には明子の友人・時子(深田恭子)が清盛の息子たちの世話をしにたびたび訪れていた。それを知った時子の弟・時忠(森田剛)は清盛を訪ね、いきなり時子を後妻にするよう願いでる。あわてて時忠をいさめる時子に向かい、清盛はもう館に来ないでくれと頼む。明子を忘れられずにいたのだ。
しばらくした後、出家した待賢門院・璋子(檀れい)の元へ得子(松雪泰子)がおとずれ、なぜ黙って出家したのかを尋ねた。待賢門院は得子から人をいとしく思う気持ちの激しさを教わったといい、それを持てなかったことを悔いた。得子は待賢門院から全てを奪うことはできなかったと実感した。
1145年、待賢門院は重い病で床についた。鳥羽院は取り乱し、待賢門院を慰めるために、季節外れの水仙を探すことを配下の武士に命じる。清盛は反発するが、家盛(大東駿介)に説得され、一門のために水仙を探すことを決意。京の野山をかけまわる清盛の前に一人の精かんな武士が現れる。東国の武者修行でたくましくなった義朝(玉木宏)であった。義朝はすでに水仙を手に入れ、鳥羽院に届けるところだと告げて去った。そして、床に伏した待賢門院に鳥羽院は水仙を握らせる。待賢門院は最後に人をいとしく思う気持ちがわかったと言うと、泣き叫ぶ鳥羽院を残して息を引き取る。
源為義(小日向文世)は、息子・義朝の帰還を涙ながらに喜び、義朝はいよいよ源氏の名を京にとどろかせるときだと息巻いた。御所に呼ばれた義朝は、鳥羽院から今回の働きを褒められ、今後は京にとどまり励むよう言いわたされた。義朝は清盛と顔をあわせると、2人は平氏と源氏どちらが強いか言い合いになる。御曹司同士の戦いが幕を開けたのだ。
屋敷に帰った義朝を熱田神宮で出会った由良姫(田中麗奈)が訪ねてきた。義朝は東国で子どもをふたりつくったことを告げ、由良姫には嫡男を産んでほしいと言う。乱暴な言い方に反発しつつも、長年待ち続けた由良姫は涙を流し、ふたりは抱き合う。
一方清盛は、盛国(上川隆也)に呼ばれて再び館に来ていた時子を見ると、「もうそなたでいい」といきなり求婚した。あんまりな言い方に非難する時子だが言葉とは裏腹に体当たりするように清盛に抱きついた。かくしてふたりの御曹司はめでたく結ばれた。
1147年、義朝と由良姫には嫡男が生まれた。のちの源頼朝であった。そして清盛と時子にも子が授かった。のちの宗盛である。清盛が一門の繁栄を願うため祇園社を訪ねたが、そこで大きな事件が待ち受けていたのだった。
平清盛が生きた平安時代末期