




第44回
「そこからの眺め」
1179年、伊豆の源頼朝(岡田将生)は妻・ 政子(杏)と前年生 まれた娘とともに幸福な日々を過ごしていた。東国武士たちは、頼朝の義父となることは清盛 (松山ケンイチ)の怒りにふれるのではと北条時政(遠藤憲一)を心配するが、時政は平家の世は長くは続かないという予言めいたことを口にする。
平重盛(窪田正孝)はわが身をていして、父・ 清盛が後白河法皇 (松田翔太)を幽閉する計画を阻止するが、その後心労がたたり病に伏す。一方、清盛のたくら みに感づいた後白河法皇は、平家の力をそごうと画策。藤原基房(細川茂樹)と手を組み、清盛が嚴島詣でに行くようにしむける。清盛の留守中、その娘・盛子 (八木のぞみ)が病死すると、後白河法皇は彼女が管理する藤原摂関家の所領を強引に没収した。嚴島でそのことを知った清盛は怒りにかられた。
ばく大な財産を失った平家一門は、棟梁・重盛 の病状を心配し、棟 梁の代理を立てるべきではないかと話し合う。時忠(森田剛)は重盛の弟であり、正妻・時子 (深田恭子)の子である宗盛(石黒英雄)を推すが、重盛の子・維盛(これもり:井之脇海)を推す声もあり、なかなか結論が出ない。重盛は宗盛ら弟たちや維 盛ら子たちを呼び、そう遠くない自分の死後、清盛の国造りと一門の将来を支えるため力をあわせるよう諭した。
清盛を苦しめるためには、清盛の子がねらい目 だと見抜いた後白河 法皇は、病床の重盛を訪ねた。重盛に、清盛と自分との間を取り持ってくれたことに感謝しつ つ、これからも平家との友好関係を望むなら、これに勝ってみよと重盛に無理やりに双六勝負をしかけた。息も絶え絶えに賽を振る重盛。そこに清盛が現れ、2 人の勝負をやめさせ、重盛を苦しめようとする後白河法皇に怒りをぶつける。すると法皇は清盛にある思い出を語り始める。
40年も前のこと、清盛に双六勝負を挑み、 勝ったら清盛の子・重 盛をもらうという賭けをした。結果は幼き重盛が自ら賽を振り、良い目が出て、たまたま清盛 は負けをのがれた。詰まるところ重盛は、わが身を自ら守る運命であり、母や弟に先立たれ父は修羅の道を生きるもののけ、一人で生き一人で死んでいくしかな いのだと後白河法皇は語る。清盛がどう喝すると、後白河法皇は40年前と同じ笑い声を残して去っていた。衰弱した重盛はすっかり生きる力を失い、一か月後 に42歳の若さで亡くなった。
悲しみにくれる平家一門に、さらに後白河法皇 は追い打ちをかけ た。盛子の養子・藤原基通を権中納言にするという平家の推挙が無視され、基房の子が権中納言 となった。それは後白河法皇が取り上げた盛子の所領が将来的には、基房の子に奪われることを意味していた。さらに亡き重盛の所領・越前を後白河法皇が召し 上げてしまう。とうとう清盛は怒りが頂点に達し、数千騎の兵を率いて上洛した。
清盛はまずは関白・基房を左遷、反平家勢力を 一掃して、彼らの知 行地をわがものにするという暴挙にでた。そして、後白河法皇を鳥羽離宮に幽閉。ついに清盛 は治天の君を退け、武士が頂点に立つという悲願を成し遂げた。世にいう「治承三年の政変」である。
清盛は内裏に行き、娘であり高倉天皇(千葉雄 大)の后である徳子 (二階堂ふみ)に謁見する。妹・盛子や兄・重盛に対する後白河法皇の所業を憂いていた徳子 は、清盛を激励した。その帰りに清盛は祇園女御(松田聖子)に会う。祇園女御はついに頂にのぼった清盛に、そこからの眺めはいかがかと問う。上機嫌に答え る清盛に、二度と会うことはないと言い祇園女御は去った。
12月、徳子と高倉天皇の子である言仁が、清 盛の西八条の別邸に 行啓した。うれしくてたまらない清盛は赤子である言仁を抱きかかえ、言仁がいたずらで穴を あけてしまった障子を大切に保管せよと言いつける。幸福絶頂にいる清盛は、その穴を満足げにのぞき込みながら、祇園女御の言葉を思い出していた。
「いかがにございますか、そこからの眺めは」
「そこからの眺め」
1179年、伊豆の源頼朝(岡田将生)は妻・ 政子(杏)と前年生 まれた娘とともに幸福な日々を過ごしていた。東国武士たちは、頼朝の義父となることは清盛 (松山ケンイチ)の怒りにふれるのではと北条時政(遠藤憲一)を心配するが、時政は平家の世は長くは続かないという予言めいたことを口にする。
平重盛(窪田正孝)はわが身をていして、父・ 清盛が後白河法皇 (松田翔太)を幽閉する計画を阻止するが、その後心労がたたり病に伏す。一方、清盛のたくら みに感づいた後白河法皇は、平家の力をそごうと画策。藤原基房(細川茂樹)と手を組み、清盛が嚴島詣でに行くようにしむける。清盛の留守中、その娘・盛子 (八木のぞみ)が病死すると、後白河法皇は彼女が管理する藤原摂関家の所領を強引に没収した。嚴島でそのことを知った清盛は怒りにかられた。
ばく大な財産を失った平家一門は、棟梁・重盛 の病状を心配し、棟 梁の代理を立てるべきではないかと話し合う。時忠(森田剛)は重盛の弟であり、正妻・時子 (深田恭子)の子である宗盛(石黒英雄)を推すが、重盛の子・維盛(これもり:井之脇海)を推す声もあり、なかなか結論が出ない。重盛は宗盛ら弟たちや維 盛ら子たちを呼び、そう遠くない自分の死後、清盛の国造りと一門の将来を支えるため力をあわせるよう諭した。
清盛を苦しめるためには、清盛の子がねらい目 だと見抜いた後白河 法皇は、病床の重盛を訪ねた。重盛に、清盛と自分との間を取り持ってくれたことに感謝しつ つ、これからも平家との友好関係を望むなら、これに勝ってみよと重盛に無理やりに双六勝負をしかけた。息も絶え絶えに賽を振る重盛。そこに清盛が現れ、2 人の勝負をやめさせ、重盛を苦しめようとする後白河法皇に怒りをぶつける。すると法皇は清盛にある思い出を語り始める。
40年も前のこと、清盛に双六勝負を挑み、 勝ったら清盛の子・重 盛をもらうという賭けをした。結果は幼き重盛が自ら賽を振り、良い目が出て、たまたま清盛 は負けをのがれた。詰まるところ重盛は、わが身を自ら守る運命であり、母や弟に先立たれ父は修羅の道を生きるもののけ、一人で生き一人で死んでいくしかな いのだと後白河法皇は語る。清盛がどう喝すると、後白河法皇は40年前と同じ笑い声を残して去っていた。衰弱した重盛はすっかり生きる力を失い、一か月後 に42歳の若さで亡くなった。
悲しみにくれる平家一門に、さらに後白河法皇 は追い打ちをかけ た。盛子の養子・藤原基通を権中納言にするという平家の推挙が無視され、基房の子が権中納言 となった。それは後白河法皇が取り上げた盛子の所領が将来的には、基房の子に奪われることを意味していた。さらに亡き重盛の所領・越前を後白河法皇が召し 上げてしまう。とうとう清盛は怒りが頂点に達し、数千騎の兵を率いて上洛した。
清盛はまずは関白・基房を左遷、反平家勢力を 一掃して、彼らの知 行地をわがものにするという暴挙にでた。そして、後白河法皇を鳥羽離宮に幽閉。ついに清盛 は治天の君を退け、武士が頂点に立つという悲願を成し遂げた。世にいう「治承三年の政変」である。
清盛は内裏に行き、娘であり高倉天皇(千葉雄 大)の后である徳子 (二階堂ふみ)に謁見する。妹・盛子や兄・重盛に対する後白河法皇の所業を憂いていた徳子 は、清盛を激励した。その帰りに清盛は祇園女御(松田聖子)に会う。祇園女御はついに頂にのぼった清盛に、そこからの眺めはいかがかと問う。上機嫌に答え る清盛に、二度と会うことはないと言い祇園女御は去った。
12月、徳子と高倉天皇の子である言仁が、清 盛の西八条の別邸に 行啓した。うれしくてたまらない清盛は赤子である言仁を抱きかかえ、言仁がいたずらで穴を あけてしまった障子を大切に保管せよと言いつける。幸福絶頂にいる清盛は、その穴を満足げにのぞき込みながら、祇園女御の言葉を思い出していた。
「いかがにございますか、そこからの眺めは」

平清盛が生きた平安時代末期