2012年12月7日金曜日

平清盛 第43回 「忠と孝のはざまで」


第43回

「忠と孝のはざまで」


平家打倒の陰謀は未遂に終わり、首謀者の一人である西光(加藤虎ノ介)は、平清盛(松山ケンイチ)の命で斬首された。平家では、残る首謀者・成親(吉沢 悠)をはじめ、陰謀に加わった者たちへの裁断が下されようとしていた。清盛は、成親が平治の乱でも平家に敵対したことを受け斬首に処そうとするが、重盛 (窪田正孝)の必死の嘆願に根負けし、成親を流罪にとどめる。しかしわずかひと月後、成親は配流先で餓死する。


肩を落とす重盛に、成親を餓死させたとほのめかす清盛。こらえきれず重盛は、清盛の思い描く国の姿が見えないと訴えるが、清盛は黙って自分の国づくりを支 えよと冷徹に突き放す。平家の嫡男でもあり、後白河法皇(松田翔太)の近臣でもある重盛はますますつらい立場に追い込まれていた。重盛は後白河法皇を慰め るべく訪ねると、法皇は西光と成親の悲惨な最期を改めて確認し、うらめしそうに笑いながら清盛の中にもののけの血がうずいていると告げる。

伊豆では、恋仲になった頼朝 (岡田将生)と政子(杏)が時政(遠藤憲一)に結婚の許しを請おうとしていた。時政は激怒し反対するが、頼朝は政子とともに源氏を再興したいという志を訴 え、時政の心を動かした。

一方、京で暮らす常盤(武井咲)のもとに、息子の遮那王(神木隆之介)と弁慶(青木崇高)が訪れ、平家を打倒すると宣言する。そして常盤の反対を押し切 り、ふたりは平泉へと向かう。その途中、遮那王は父・義朝最期の地である尾張で自ら元服の儀式を行う。そこで弁慶は常盤からあずかった名前を伝えた。こう して「義経」が誕生した。源氏の魂は着々とよみがえろうとしていたのである。


1178年6月、清盛の娘であり、高倉天皇(千葉雄大)の后である徳子(二階堂ふみ)が懐妊したという待望の知らせが福原の清盛に届いた。清盛は喜び勇ん で京にはいり、平家一門に安産祈願をさせる。そして11月、願いどおり皇子が生まれた。六波羅で平家一門をあげて催された祝宴には源頼政(宇梶剛士)も招 かれていた。清盛は頼政を三位に出世させたと伝えると、頼政は涙ながらに礼を述べた。その後も祝宴はつづけられ、清盛も一門も上機嫌だったが、重盛は思い つめたように清盛を見つめていた。


明けて1179年2月、清盛は緊急に一門を集め、重大な決意を伝えた。皇子の外祖父となった今、誰かがまた平家を陥れるために鹿ヶ谷の陰謀のような企てを する可能性があるため、後白河法皇を平家の館に連れてくるということだった。


そのころ、後白河法皇は病床に伏す乙前(松田聖子)を見舞っていた。乙前は後白河法皇と清盛の双六遊びの行く末が気がかりだと伝えると、法皇はまだ自分に は手駒があると不敵につぶやいた。


やがて武装して法皇の御所に向かおうとする清盛や一門の前に、病に伏していた重盛があらわれた。清盛の意図を聞くと、自分は御所を守ると宣言した。清盛は 自分の国づくりを子である重盛が阻もうとするのかと責め立てると、重盛は「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」と叫び、もし法皇を 攻め入るのならば、自分の首をはねろと泣いて訴え続けた。重盛の命がけの懇願に、清盛も折れざるを得なかった。だがこの重盛の一途な忠義、孝行こそが、後 白河法皇のつけいる隙でもあった。














平清盛が生きた平安時代末期