| 第21回 「保元の乱」 1156 年(保元元年)7月10日深夜、ついに戦いの火ぶたが切られようとしていた。後白河天皇(松田翔太)方には平清盛(松山ケンイチ)以下300騎、源義朝 (玉木宏)以下200騎などが陣をおく高松殿に集結。同じころ源為義(小日向文世)ら源氏勢や、平忠正(豊原功補)とその一党は崇徳上皇(井浦新)がいる 白河北殿に入った。 義朝は死ぬ覚悟で戦う自分に今すぐ昇殿を認めろと主張、指揮をつかさどる信西(阿部サダヲ)は血気盛んな義朝にすぐさま昇殿と軍議への列座を認めた。そん な義朝に清盛は対抗心を燃やす。 藤原忠実(國村隼)は宇治で一人ぼう然としていた。藤原摂関家の栄華を取り戻すはずだったが、長男・忠通(堀部圭亮)は天皇方、次男・頼長(山本耕史)は 上皇方に分かれて戦うことになり、悲痛な思いを感じていた。 それぞれの軍議の中で、天皇方の義朝と上皇方の源為朝(橋本さとし)は、ともに戦慣れした武士らしく、「夜討ちこそが最上策」と提言。夜討ちを恥ずべき行 為とする頼長がこれを退けたため、上皇方は夜明けを待つことになった。一方、天皇方の信西は、勝つためには手段を選ばずとばかり義朝の案を取り入れる。信 西は義朝の献策を褒めあげると、清盛も負けじと発奮する。 清盛は早速一門に指示を出す。平氏の武功をあげるため為朝を狙えと。伊藤忠清(藤本隆宏)とその弟・忠直(土平ドンペイ)、清盛の長男・重盛、次男・基盛 が出陣。しかし弟の頼盛(西島隆弘)には、弱気になったものに兵は任せられないと即刻立ち去るよう命じた。 |
| ま た、義朝のもとには、家臣・鎌田正清(趙珉和)とその義父・長田忠致(長谷川公彦)が加わった。陣立てをする清盛、義朝らの前に後白河天皇が現れ、じきじ きに言葉をかける。戦のいきさつを改めて語り、武士たちの力で勝利することが新しき世の始まりだと鼓舞した。 後白河天皇の軍勢は三方に分かれて白河北殿に向かった。突然の敵襲に頼長は動転する。義朝は白河北殿に向かう途中、賀茂の河原で敵軍となった弟・頼賢(永 岡佑)らと遭遇、白河北殿の南門では伊藤忠清・忠直が強弓の使い手・為朝と対戦した。為朝が射た矢は忠直のよろいを貫き、絶命する。一方、北門では清盛の 前に叔父・忠正(豊原功補)が立ちはだかった。無駄な血を流したくないという清盛に射かける忠正。ふたりの死闘が始まった。 南門で次々に敵を射たおす為朝の強弓。立ちはだかる鎌田正清(趙珉和)に為朝は鋭い矢を放つが、身をていして矢を受けたのは為朝側についていたはずの正清 の父・通清(金田明夫)だった。深手を負った通清は為義の前に行き、為義の子はみな立派に戦っている、源氏の世はきっとくると告げて息絶えた。悲しみに我 を失った為義は、指揮官の頼長を置き去りにして前線に出て、我が子・義朝に斬りかかる。応戦する義朝もさすがに父を斬ることができず、退却を決断する。 義朝は信西に使いをやり、御所に火を放つことを提案。信西は即刻火をかけよと命じる。清盛と忠正が戦う北門では兎丸(加藤浩次)たちが巨大な丸太で門を壊 し、兵たちが突入。義朝の火攻めも始まった。 うろたえる頼長に、崇徳上皇は頼長を信じた自分が愚かだったと言い捨て、白河北殿を去った。後白河天皇側の勝利が決定的になる中、清盛はかつて白河法皇 (伊東四朗)と対面した場所でもある白河北殿が焼け落ちていくのを、感慨を持ってみつめていた。 |
平清盛が生きた平安時代末期