2026年、ゴールデンウェーク。今までとは全く異質な国会議員の外遊
今年のゴールデンウィーク、日本の閣僚たちは世界中を飛び回りました。テレビでは「また外遊か」「税金の無駄だ」という、いつもの批判が流れています。しかし、その裏で彼らが何と戦っていたのか、本当に理解している人はどれだけいたのでしょうか。
彼らが海外へ向かった本当の理由、高市号令。
それは、私たちが明日も電気を使い、ガソリンを入れ、同じようにスーパーで食料を買い、「平和な日常」を続けるための“生命線”を守るためでした。
いま世界では、エネルギーも食料も半導体も、「お金を出せば買える時代」が終わろうとしています。
現実に、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった瞬間、世界中のエネルギー価格は暴騰しました。日本でも電気代やガソリン代、パンや卵の価格まで一気に上がったことを、多くの日本人は覚えているはずです。
なぜ、遠いヨーロッパの戦争で、日本の食卓が苦しくなるのか。
それは、日本が資源のほとんどを海外に依存している国だからです。
日本はエネルギー自給率が極めて低く、食料も多くを輸入に頼っています。海上輸送路が止まれば、それだけで国民生活は一気に崩れます。
だからこそ、日本の閣僚たちは、中東や東南アジア、アメリカやヨーロッパを飛び回り、「日本に資源を安定供給してもらうための交渉」を続けていたのです。
今回は観光ではありませんよ。
日本という国の“呼吸”を止めないための危機回避の為の外交でした。
さらに世界は今、「力の空白」を狙う時代に入っています。
ウクライナでは、十分な防空システムや弾薬が届かなかった地域で、多くの一般市民が犠牲になりました。
どれだけ「平和」を願っても、敵国からのミサイルは止まりません。
願いだけでは、人の命は守れないという現実を、世界は目の当たりにしています。
台湾海峡でも緊張が続いています。
もし台湾有事が起これば、日本のシーレーンは大きな危険にさらされます。日本に届くエネルギーや物資の流れが止まれば、経済だけではなく、国民生活そのものが大きく揺らぐのです。
しかし国内では、一部の若者を巻き込んだ全学連が「戦争反対」と叫び、防衛力強化や武器移転に反対しています。全学連、懐かしい響きです。65歳の私にとっては、背景はともあれ、約60年前に存在した武力革命集団の名称だ。安田講堂で鎮圧。あっけない最後で、浅間山の粛清で日本人の感情は、ほぼ100%離れてしまい完全消滅した。
もちろん、「戦争を避けたい」という気持ちは理解できます。
誰だって戦争など望んではいません。
しかし、私は彼らに問いかけたい。
もし、あなたの目の前で家族や子供が攻撃を受けた時、相手に向かって「日本国憲法は平和憲法だ」と叫べば、ミサイルは止まるのでしょうか。
自衛隊がどれだけ命懸けで国民を守ろうとしても、弾薬が尽きれば終わりです。
補給が止まれば、防衛は崩壊します。
実際、ウクライナ戦争では、「砲弾不足」が戦局そのものを左右しました。
近代戦は、“精神論”ではなく、“補給”で決まるのです。
さらに忘れてはならないのは、自衛隊は「戦争のためだけ」の組織ではないということです。
東日本大震災のとき、瓦礫の中で人命救助を行い、被災地に食料や水を運び続けたのは誰だったでしょうか。
能登半島地震でも、孤立した地域へ真っ先に入ったのは自衛隊でした。
つまり、自衛隊の装備や輸送能力を弱めることは、有事だけでなく、大災害時の“国民救助能力”そのものを弱めることにも繋がるのです。自衛隊を毛嫌いしている共産党員や社会主義者、左翼思想の日本人であっても、瓦礫に埋もれていれば、隊員は、貴方を助けるのです。仮に、自衛隊に助けてもらうのは恥だと言って、舌を噛み切って死んだとしても、瓦礫から救い出し、家族の元へ礼を持って帰すのです。
それにもかかわらず、日本の地上波メディアは、こうした現実を十分に伝えようとはしません。
映し出されるのは、声の大きいデモや、感情的な対立ばかりです。
「なぜ各国が防衛力を強化しているのか」
「なぜ日本が資源外交に必死なのか」
「なぜ補給路の確保が国家の生命線なのか」
そうした本質には、ほとんど触れません。
本来、事実を冷静に伝えるべきメディアが、感情的な分断を煽り、国民の現実感覚を鈍らせている。
私は、そこに大きな危機を感じます。
本当の平和とは、ただ叫んで手に入るものではありません。
誰にも侵略する気を起こさせない防衛力。
簡単には揺るがない経済。
資源や食料を確保する外交。
そして、有事に国民を守り抜く準備。
それらすべてが揃って、初めて平和は維持されるのです。
私たちは、もう、「なんとなく平和が続く時代」の中にはいません。
地上波テレビが作る空気ではなく、自分の目で世界を見なければならない。
感情ではなく、現実を直視しなければならない。
私たちの愛する家族と、この国の未来を守るために。
今こそ、日本人一人ひとりが「目」を開く時ではないでしょうか。