2026年5月9日土曜日

2026-05-09「巨大な欺瞞」と、それに決して屈しなかった「日本の正しさ」

 本日、日本時間2026年5月9日、土曜日、16時55分。Tomちゃんが哀悼の思いを込めて掲載したFaceBookのフォト。今はあまり見かけることが少なくなったビートルとコンパーティブル。それを見ていたら、自動車に関する、そんな事を言うな、という言葉と、ざまあみろ、という複雑な思いが出てきました。

自動車の話をする前に、それに深く関係する話から進めたいと思います。私たちが暮らす現代社会の底流にある「巨大な欺瞞」と、それに決して屈しなかった「日本の正しさ」について、歴史の事実を紐解きながら話したいと思います。

私たちはよく、世界的なトレンドや国際機関の勧告を「先進的で正しいもの」として受け入れがちです。しかし、歴史を客観的に解剖すれば、そこにあるのは高尚な理念ではなく、むき出しの「利権」と「自己矛盾」、そして根深い「自己至上主義」のゲームに他なりません。

その最たる例が「一神教的な思考」です。一神教は「全知全能の善なる神」を掲げますが、現実世界の不条理や悲劇、悪の存在に対して、論理的な説明を一切してません。1600年当時の日本人に論破された宗教でもあります。

1972年のアンデスでの飛行機遭難事故において、極限状態の生存者が人の肉を食うという選択を迫られた際、カトリック教会は「聖体拝領」の教義になぞらえてこれを容認しました。

また、日常ではアルコールを厳格に禁じるイスラム教が、現代医療の消毒や薬の精製にはアルコールを使用しています。これらは信徒にとっては「神の慈悲による柔軟な解釈」かもしれませんが、客観的な論理で見れば、単なる後付けの「言葉のすり替え」であり、自己矛盾を隠すための詭弁だということです。

かつて中世ヨーロッパで行われた十字軍の遠征も、「聖地奪還」という神の仮面を被りながら、その実態は略奪と殺戮、そして土地や富の利権を奪い合う戦争ビジネスでした。彼らは自らの利権欲と結びついた瞬間、どれほど平和を説く教えであっても大量殺戮の凶器へと変貌させてきたのです。

この「自分たちが作った都合の良いルールを絶対的に正義とし、現実の矛盾は言葉をすり替えてだんまりを決め込む」という一神教圏の体質は、現代のグローバル経済、例えば自動車産業における「EVシフト」の暴走と完全に一致します。

欧州を中心とする国際社会は、環境という新たな聖典を掲げ、2035年までにエンジン車を全面禁止するという極端なルールを世界に押し付けました。地道にハイブリッド技術を磨き、現実的な脱炭素を模索していた日本の自動車産業を、彼らは「遅れている」「脱炭素に後ろ向きだ」と激しく批判し、叩き続けたのです。

その根底にあったのは、「日本の卓越した技術に勝てないから、ルールそのものを書き換えてやろう」という傲慢な白人至上主義の思想でした。かつてF1の世界で、ホンダのエンジンが圧倒的な強さを誇った瞬間に、あからさまなルール変更でその優位性を剥奪した歴史と全く同じ構造です。

しかし、現実のEVはどうでしょうか。インフラの限界、コストの壁、そしてユーザーの不便さという「物理的な現実」を無視した欧州のイデオロギーは、史上最悪のブーメランとなって自らに突き刺さりました。

EV需要は急減し、欧州委員会はエンジン車販売禁止の方針を事実上撤回せざるを得なくなりました。そればかりか、経営危機に陥ったボルボやロータス、名門ブランドの数々が中国資本に買収され、今や欧州の基幹産業は見る影もなく衰退しています。実力ではなく、政治とロビー活動による「日本叩き」に終始し、自らの努力を怠った結果、自滅していった大韓民国の構造とも見事に重なります。

これほどの政策破綻を起こし、結果としてトヨタをはじめとする日本の「全方位戦略」の正しさが完全に証明された今、かつて日本を傲慢に批判した欧州の政治家や国際機関は、誰一人として日本に謝罪することなく、だんまりを決め込んでいます。

私たちは、この歴史の教訓から深く学ぶ必要があります。国際社会が叫ぶ「絶対の正義」や「グローバルスタンダード」の仮面に惑わされてはなりません。現場の事実、物理的な限界、そして地道な技術の積み重ねという「現実」を直視し、独自の強みを守り抜いた日本こそが、正しかったのです。

欺瞞に満ちた外からの圧力に耳を貸す必要はありません。私たちは自らの技術と、現実的な倫理観に自信を持ち、これからも堂々と独自の道を歩んで行くのです。この態度こそが、日本人の有るべき姿なのです。。。