2026年5月27日水曜日

2026-05-27 ルールを書き換える者たち —— 国際社会の二重基準を問う

今日は、私たちが生きるこの世界の「日本」についてお話ししたいと思います。

私たちは日頃、テレビやニュースを通じて、欧米諸国が掲げる「人権」「平等」「フェアプレー」という美しい言葉を耳にします。しかし、歴史のページをめくり、現代の現実を直視したとき、そこに浮かび上がるのは、言葉の美しさとは裏腹な、極めて自己中心的で、冷徹なパワーゲームの姿です。自らの国益や優位性のために、いつでも、いくらでもゲームのルールを変えてきた——それこそが、彼らが築いてきた秩序の本質ではないでしょうか。

歴史を1919年、第1次世界大戦後のパリ講和会議に戻してみましょう。

当時、世界で初めて国家のレベルで「人種差別撤廃」を堂々と世界に訴えたのは、我が国、日本でした。多くの国々がこの画期的な提案に賛成し、多数決で採択されるはずでした。しかし、それを力ずくで葬り去ったのはどこの国だったでしょうか。アメリカです。

当時のアメリカ大統領ウィルソンは、自国内の黒人差別や、安価な労働力に依存する経済構造、そしてアジア系移民を排除する自国の都合を守るために、「全会一致が必要だ」という前代未聞の後出しルールを持ち出し、世界が求めた平等の芽を摘み取ったのです。都合が悪くなれば、大義名分をひるがえして悪に目をつぶる。この独善的な姿勢は、一神教的な「自分たちこそが正義であり、ルールを決める権利がある」という根深い思い込みから来ていると言わざるを得ません。

そして、この「都合が悪くなったらゲーム盤をひっくり返す図太さ」は、過去の歴史だけのものではありません。現代の、私たちが熱狂するスポーツの世界でも全く同じことが繰り返されています。

モータースポーツの最高峰、F1の歴史を見てください。1980年代、日本のホンダが卓越した技術力で世界を席巻し、圧倒的な勝利を重ねたとき、欧州主導の主催者側がやったことは何だったでしょうか。真っ向勝負で追いつくことではなく、ホンダの強みであった「ターボエンジンそのものを禁止する」というルール変更でした。近年、ホンダが再びハイブリッド技術で頂点に立ち、欧州のライバルを凌駕し始めたときも、シーズン中であるにもかかわらず予選の出力モードを制限するなど、露骨な「ホンダ包囲網」が敷かれました。

オリンピックやウィンタースポーツでも同様です。スキージャンプで日本の選手が圧倒的な強さを見せれば、小柄な日本人に不利になるよう「身長とスキー板の比率」のルールを書き換える。伝統武道であった柔道が「JUDO」になれば、欧州のスタイルに有利なポイント制やタックル禁止の規定を次々と導入する。水泳でも、日本が独自の工夫と努力で金メダルを獲れば、そのフォームや技術を狙い撃ちにするような規制を作る。

彼らにとっての「フェア」とは、「自分たちが勝っている状態」のことに過ぎないのです。他者が勤勉さや創意工夫、血の滲むような努力によってそのルールを完全にマスターし、自分たちを追い抜こうとした瞬間、彼らはルールメイカーという特権を使って、スタートラインを自分たちに都合の良い場所へと勝手に引き戻す。これが彼らの言う「国際基準」の正体です。

かつてアフリカを不自然な国境線で引き裂き、歪んだ経済構造を押し付け、今日に至る貧困と混乱の「しこり」を植え付けたのも、彼らEUやUSの大国です。弄ぶだけ弄び、自らの利権が脅かされそうになると、今度は「自国ファースト」を叫んで梯子を外す。

私たちはもう、彼らが掲げる綺麗事に騙されてはなりません。

言葉の裏にある凄まじいエゴイズムと、二重基準(ダブルスタンダード)を冷徹に見抜き、私たちは独自の技術、独自の知性、そして揺るぎない誇りを持って、この不条理な世界と対峙していかなければならないのです。