2018年8月10日金曜日

2018-08-10 大東亜会議(1943年(昭和 18年)11月5日 - 11月6日)

大東亜会議



1943年(昭和 18年)11月5日 - 11月6日に東京で開催されたアジア地域の首脳会議。同年5月31日に御前会議で決定された大東亜政略指導大綱に基づき開催された。

当時の日本の同盟国や、日本が旧宗主国を放逐したことにより独立とされたアジア諸国の国政最高責任者を招請して行われた。そこでは、大東亜共栄圏の綱領と もいうべき大東亜共同宣言が採択された。日本は第2回目の大東亜会議を開催する計画を持っていたが、戦局の悪化に伴って開催困難となり、昭和20年 (1945年)5月には代替として駐日特命全権大使や駐日代表による「大使会議」が開催された。


大東亜会議に参加し た各国首脳(帝国議事堂前にて記念撮影)。左からバー・モウ(ビルマ)、張景恵(満州国)、汪兆銘(中華民国)、東條英機(日本)、ワンワイタヤーコーン (タイ王国)、ホセ・ラウレル(フィリピン共和国)、スバス・チャンドラ・ボース(自由インド仮政府国家)


東条総理にとって占 領地における民心掌握の一環としての方策であったが、重光葵外相には和平や戦後構想にむけて、長年欧米諸国の植民地として搾取されていた各国の独立構想が あったとされる。

なおこの会議は、近代史上初めて有色人種のみが一堂に会して行われている首脳会議であった。当時の日本やその同盟国がイギリスやアメリカなどの旧宗主国を 放逐したことにより独立を果たしたアジア諸国の国政最高責任者を招請して行われた。

また「大東亜共同宣言はイギリスとアメリカが提唱した大西洋憲章に対抗することを目指していた」という評価もある。









演説を行うチャンドラ・ボース



大東亜結集国民大会