2018年8月10日金曜日

2018-08-10 大西洋憲章( 1941年8月14日に米英共同宣言のかたちで発表)

大西洋憲章

1941年8月14日に発表されたアメリカ・ F.ルーズベルトとイギリス・ W.チャーチルの共同宣言で、第2次世界大戦後の世界平和回復のための基本原則を定めたものである。

その原則的趣旨は、1942年1月1日の連合国共同宣言にも取入れられた。 その交渉が北大西洋上のイギリス軍艦『プリンス・オブ・ウェールズ』とアメリカ巡洋艦『オーガスタ』上で行われたので、一般に大西洋憲章と呼ばれている。

その要旨は
(1)両国は領土の拡大を求めない。
(2)関係国民の自由に表明する希望と一致しない領土的変更を欲しない。
(3)すべての国民がその政体を選択する権利を尊重し、強奪された主権と自治が回復されることを希望する。
(4)すべての国に対し、世界の通商および原料が均等に開放されるよう努力する。
(5)改善された労働条件、経済的進歩、および社会保障を確保するための国際的協力を希望する。
(6)ナチの暴政を破壊したのち、全人類を恐怖と欠乏から解放することを希望する。
(7)全人類が妨害を受けることなく海洋を航行できるようにする。
(8)侵略の脅威を与える国の武装を解除し、恒久的な全般的安全保障制度を確立することに努め、また軍備負担の軽減を助長すること、である。

特にこの第8項は、国際連合の設立につらなっていくので、重要な意義をもっていた。

当時、アメリカは、ヨーロッパとアジアの戦争に対し、中立国の立場にあったが、孤立するイギリスへの道義的、物質的支援が自国の国益に合致する、とのルーズベルト大統領の判断で、異例の会談の開催、共同宣言の発表となったものである。これにより、アメリカは、ドイツとの対決姿勢を、それまで以上に明確にした。大西洋憲章は、約4か月後のアメリカの参戦を経て、42年1月1日に発表された連合国共同宣言においても冒頭で強調され、継承された。



連合国宣言
1944年1月、米英ソ中の4国が発議し、26ヵ国が参加し、枢軸国との戦争を連合国として戦うことで合意した。国際連合形成の第一歩となった。

太平洋戦争の開戦によりアメリカが参戦し、第二次世界大戦がまさに全世界規模に拡大されたことを受け、1942年1月1日、ワシントンにおいて、アメリカ合衆国・イギリス・ソ連・中国の4ヵ国を発議国とし、世界26ヵ国が発した共同宣言。

草案は、F=ローズヴェルト(米)、チャーチル(英)、リトヴィノフ(ソ連)、宋子文(中国)が起草した。


26ヵ国とは
アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦、中国、オーストラリア、ベルギー、カナダ、コスタ・リカ、キューバ、チェコスロヴァキア、ドミンゴ共和国、エル・サルバドル、ギリシア、ガテマラ、ハイチ、ホンデユラス、インド、ルクセンブルグ、オランダ、ニュージーランド、ニカラグア、ノルウェー、パナマ、ポーランド、南アフリカ、ユーゴスラヴィアである。

これらの国々が「連合国」を構成し、「枢軸国」である日本、ドイツ、イタリア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、フィンランド、タイの陣営との二つに分かれた世界大戦となった。

この「連合国(United Nations)」は1945年6月成立の「国際連合」に継承される。