第26回
「平治の乱」
1159(平治元)年12月9日、これまで信西(阿部サダヲ)に冷遇されていた義朝(玉木宏)が、後白河上皇(松田翔太)の側近・信頼(塚地武雅)らと結託し、ついに決起する。世にいう「平治の乱」のはじまりである。
「平治の乱」
1159(平治元)年12月9日、これまで信西(阿部サダヲ)に冷遇されていた義朝(玉木宏)が、後白河上皇(松田翔太)の側近・信頼(塚地武雅)らと結託し、ついに決起する。世にいう「平治の乱」のはじまりである。
三条殿にいた後白河上皇と上皇の姉・上西門院統子(むねこ:愛原実花)は源氏勢に幽閉され、義朝率いる源氏の軍勢は三条殿と信西の館を襲うが、信西はすでに逃げ出していた。義朝はさらに二条天皇(冨浦智嗣)をも内裏に軟禁したのであった。
三条殿を抜け出した信西の妻・朝子(浅香唯)は清盛邸にかけこみ時子(深田恭子)に状況を伝え、信西を清盛に救ってもらうよう頼み込んだ。紀伊にいた清盛(松山ケンイチ)は、早馬で駆けつけた忠清(藤本隆宏)から事の次第を聞き、言葉を失う。すぐに熊野詣を中止し都へ戻るよう命じる。しかし熊野詣のため一同武装していないと重盛(窪田正孝)が心配すると家貞(中村梅雀)がひそかに用意していた鎧や弓矢を差し出した。平氏一門は必死に京へ向けて馬を走らせる。
内裏では、摂津源氏の頼政(宇梶剛士)が今回の所業の理由を義朝に問いただしていた。すると義朝は、武士の地位を高めるのは政治ではなく力であることを世に示すためだと答えた。そのころ信西は山中を必死に逃げていた。つき従う師光(加藤虎ノ介)らが疲れきっているのを見て、ここに穴を掘り自分を入れてそれぞれ落ち延びよと命じた。
12月14日、内裏では諸官を任命する除目(じもく)が行われた。信頼は念願の近衛大将になり、義朝は播磨守に任じられた。身勝手に振る舞う信頼に、とまどう藤原成親(吉沢悠)たち。美福門院(松雪泰子)や藤原忠通(堀部圭亮)は怒りをこらえていた。そこへ義朝の長男・義平(波岡一喜)が東国から到着し、阿倍野にて清盛一行を待ち伏せしたいと意気込む。
六波羅の清盛邸では、京に残った盛国(上川隆也)らが方針について話し合っていた。頼盛(西島隆弘)は信西を救う必要はないと言う一方、時忠(森田剛)は信西は平氏にとって不可欠な方と言い、意見は割れる。そうした中、清盛が信西を見捨てるはずがないと時子が声をあげ、盛国は清盛の帰りを待つことを提案した。
京へ向かう途中の清盛たちは、阿倍野で待ち伏せしているという源氏勢とどう戦うか話し合っていた。一日も早く帰京し、信西を救いたいと言う清盛に、重盛は信西が滅ぼされた後で信頼と源氏を倒せばすべてが手に入ると主張した。清盛は信西との思い出を語り、友である信西を絶対見捨てないと決意を固めた。
穴に隠れていた信西は、そばで見守る師光に西光という法名を与え、自分に危機が迫っても決して助けようとは思わず、すべてを見届けろと命じた。信西は一人になり、自らの半生を思い返し、自分は一体何者になりたかったのかを考えていた。そして、いつか清盛が助けに来ると信じて、息を潜めた。だが、穴の中で衰弱した信西を見つけたのは清盛ではなく、源氏の者だった。覚悟を決めた信西は刀をのどにつきたてて自害した。
12月17日、京にたどりついた清盛は路上につるされているものにがく然とする。それは亡き信西の首であった。泣き崩れた清盛はやがて震える手と足で体を起こした。怒りに満ちた目で義朝への怒りを叫ぶ。「これがお前の出した答えならば―――受けて立とう」平氏と源氏が雌雄を決するときがきた。
平清盛が生きた平安時代末期