2018年9月5日水曜日

2018-09-08 中観派ーー空観

龍樹(ナーガールジュナ)は、般若経典の般若波羅蜜の解釈を主眼として、空の思想を理論化した。あらゆる存在(一切法)は、縁起によって成立しており不変の独自性はもたない(無自性空)とする見方に立つ。

縁起とは、他との関係が縁となって生起するということ。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずから無くなるということを指す。仏教の根本的教理・基本的教説の1つであり、釈迦の悟りの内容を表明するものとされる。

無自性とは、「自性」がないということです。その「自性」とは、変化するものの根底にあって常に同一で、固有のものであり続ける永遠不変の本質という意味です。また、ほかの何ものにも依らずに、それ自身によって存在する本体のことだということです。

大乗仏教の考え方では、このような「自性」とか「本体」は基本的には否定されます。すべては生滅し変化する「無常」なものであって、永遠不滅な本体などないと考えることが無自性空ということになります。

 一切(あらゆる存在)が空であるとする見方(空観)は、すべてが虚無であるとする考え方にきこえるが、そうではない。<空>と<無>は似ているがまったく異なる考え方で、「中観派」と呼ばれるのは、世界を<実在>とする極端説と<虚無>であるとする極端説のどちらからも離れた中道をとるからである。

有(実在)でもなく無(虚無)でもない<空>とは

 龍樹(ナーガールジュナ)は、これを飛蚊症という眼病のたとえで説明しています。飛蚊症にかかると毛筋のようなものが見えるが、それは見えているだけで存在はしてはいないので有ではないということになる。しかし、飛蚊症が治るとそれは消えて無くなる。無であるものがなくなることはないので、無であるとはいえない。毛筋のようなものは、有でも無でもない。すなわち<空>であると説明する。現象するすべてのものが、これと同じあり方をするという。

この世界における現象のすべては<縁起>によって現れてくるが、それらは<空を本質とする>(空性)と説かれる。それらは、かならず何かにもとづいての仮の現れでしかない。さらに、このようなあり方をしているものは、また<中道>にほかならない。というのは、あらゆるもの、あらゆることがらが、かならず他のもの、他のことがらと<相互に依存する関係>の上にはじめて成立し、自己同一を保つ実体的なものやことがらは何もないからである。

このようにことばの虚構の上に成立している現象世界において、分別をはたらかせることによって、行為と煩悩が生まれる。それらは世界を<空なるもの>と見ることによって、滅することができる。<分別>を否定し、ことばによる思考・判断に惑わされることなく、一切を<空>とみるものの見方、これこそが般若波羅蜜、すなわち<智慧の完成>であるとする。