【大阪・新世界物語】スマートボールに映す人生 「みんな流れ者」、カバンに遺書を忍ばせ、台に向かう元ホームレスの思い
2019/12/13(金) 20:07配信MBSニュース 日雇い労働者が多く暮らす大阪・西成のあいりん地区。そこと隣接する場所にかつて、どこか近寄りがたいイメージだった町、「新世界」はあります。通天閣に抱かれたその町には、昔懐かしいスマートボール店がい までも人気で、多くの人たちが台に向かいます。転落の人生…、だけどホームレス生活にうまく馴染めず、カバンに遺書をしのばせた男性がいます。かつて大手 新聞社に勤めていたといいますが何故、新世界にたどり着き、カバンに遺書を忍ばせているのか。また、生まれてすぐ亡くなった息子をいまも思い続け、墓参り 帰りに必ずスマートボールを打ちに来るという女性。ひとつずつ打つ玉に様々な思いが潜んでいました。 ボールが回ると、人生も回る 「二度漬け禁止」の串カツ屋が並ぶ通りに昔懐かしいスマートボール屋さんがあ る。新世界は、観光客が急増したが、懐かしさを求めてひとり、スマートボール台に向かう人は意外と多い。100円を入れると25個のガラス玉が出てくる。 ガラス玉を一個ずつ手動レバーで打つ実に単純な遊びに惹かれる大人たちがいる。 夕暮れ時、ひとり台に向かうおじさんがいた。見かけは 上品でベレー帽をかぶり絵描きのようないで立ち。「昭和の遊びって、安らぐよね」。うつむき加減で、そう笑ってくれたおじさんは、64歳。今は一人、安ア パートで暮らしている。九州で生まれ、高校を卒業して大手新聞社で18年勤めたという。90年代に入り、活版印刷はコンピュータ化された。能力が追いつか ず、新聞社を辞めたのは、38歳の時。それから職を転々とし、警備員を8年したのち、ふと働く気がなくなった。そして、ホームレス…。その時、感じたこと があった。「僕は路上で、ただ受け身で待っているだけの人だ。空き缶を集め、誰かが捨てたお弁当を人前で食べるひとを尊敬した。やってみればわかる…」。 ホームレスさえ、うまくできなかった頃、人生を投げていた。今は僅かな年金で暮らしている。 流れ着いた町、新世界 スマートボールのガラス玉は、全く穴に入らず、転がり落ちていく。おじさん は、100円玉を追加して、話しを続けた。 ホームレス生活が嫌になり、ひとのためになる仕事が したい、と福島県で放射線の除染作業をやった。集団で車に乗り、土壌の表面から取り除く作業…。放射線量が、目標値にまで下がれば終了。「ええ加減な、適 当な作業やった」と振り返る。その時、派遣先の親方に給料をピンハネされた。奴隷のように扱われた末の出来事。「もう怖くなって、逃げた」。そして行き着 いたのが、知り合いの“ママ”がスナックを営んでいた大阪。ここ新世界に来ると、スマートボールを打ち、お酒を飲むのが楽しみだ。虐げられた仕事でさえ、新世界では酒の肴になった。この町では、誰も過去は詮索しない。「みんな流れ者だから、過去に傷があるのかもね」とおじさんは言った。 カバンに遺書を忍ばせる おじさんは、話を続ける。「いま、遺書をこの小さなカバンに入れている。 “実家のお墓には入れなくていい”と書いてある。兄弟はいるけど、死ぬまで連絡することはないよ。もうすぐ65歳。家族に会いたいとは思わない。結局、僕 がこういう人生を選んだから。しかも、バカなことにこんな年齢で今、好きな人がいる。けれど、本当に好きになろうとは思わない。深く付き合うと傷つくのが わかるから」。 最後に残ったスマートボールのガラス玉が、おじさん が握ったレバーから放たれた。幾度となく釘に弾かれ、転がっていく。結局、穴には入らなかった。ずっと台に目線をやっていたおじさんが、顔を上げた。「玉 がなくなっちゃったね」、そう笑うと言葉を続けた。「めったに喋らないこと、話してスッキリしたかも…、漫才でも見に行こうかな。お笑いは時々、無性に見 たくなる。ヘンかな?」。そう言うと店を出た。別れ際、ジャケットのポケットに小さなワインボトルをみつけた。「これ、気つけ薬みたいなもの。少しでも前 へ進みたいときに飲む」。ニコッと笑うとおじさんは、新世界の演劇場のほうに消えた。 3ヶ月に一回、通うスマートボール店 外が薄暗くなるにつれて、串カツ目当ての客で新世界は賑わう。客が減ったス マートボール屋さんで、慣れた手付きでガラス玉を打つおばさんがいた。 「近くにお寺にお墓があるから3ヶ月に1度は、必ず来 る。墓参りをして、寂しいからここへ寄るのよ」と優しく笑う。年齢は、80歳だという。なかなかの腕前なのか、また打ったガラス玉が穴に飛び込んだ。する と10個、15個とガラス玉が追加された。その時思いがけず、おばさんの打つ手が止まった。そして、ガラス玉の音がこだまする店で、ゆっくりと話し始め た。 「私の長男がね…、生まれてすぐに死んだのよ。2日 ほどしか赤ちゃんの顔を見てない。あと入院していたから。一週間経ってやっと顔を見られる、と思ったら死んでいた。生きていたら、50歳を超えているか な。遺骨は、新世界の近くの一心寺にある。長男だったし、一番心に残っている…。昭和34年に生まれ、名前を付ける間もなく亡くなった。どれだけ泣いた か…。それから10年、子どもは作らなかった。長男が亡くなったのは病気で。私も凄くショックで1ヶ月入院した。12月24日に生まれて、すぐに亡くなる なんて…。私が妊娠中毒症で、それが原因で、身体が弱かったせいで…」 ここへは、亡き子に会いに来る 長男の誕生日、12月24日が巡って来る度、顔を思い出す。長男への思い は、歳を重ねるにつれ、より強くなった。「クリスマスだけじゃなくて、いつも思い出す。変だと思うけど、50代の男の人を見てウチの息子、今頃もうちょっ と大きかったかも、とかついつい、考えたりする。出来ることなら会って、本当にゴメンね、って謝りたい。私が、身体をちゃんとしていたら、元気に過ごせた のに…、と思ってね」。涙がゆっくりと彼女の頬を流れる。「でも…、子どもが守ってくれているから、私はこうして楽しい遊びができる。主人は病院に入った ままやし、大変な毎日やけど、ここへ来たら遊ぼう、と思う。お墓が近いから、新世界へ来るのが一番の楽しみ。息子に会えるな、って」 話し終えるとおばさんは、席を立った。「湿っぽい話 しをしてゴメンね」、そう言いながら立ち去ろうとするおばさんに近寄る女性がいた。「娘なのよ、今日は一緒に夕食」、そう笑って、ふたりは店を出ていっ た。みんなひとりひとり、辛い過去や人生を背負いながら、生きている。派手な電飾の串カツ屋さんが並ぶ道を遠くでふたりが、手をつないで歩いて行く。 連載「大阪・新世界物語」 この記事はMBSのドキュメンタリー番組「映像シリーズ」とYahoo! ニュースによる連携企画記事です。様々な事情を抱えた人でも詮索せず優しく受け入れる町、大阪・新世界。誰もが少なからず生きづらさを感じる現代、ここで 生きる人々の、切なくも温かい人生模様を通し、つらい過去や人生を背負いながらも「生きる」ことの素晴らしさを改めて見つめます。12月13日から5回に わたって配信します。 |