2015年2月27日金曜日

2015-02-27 ニッカウヰスキー創業者、竹鶴夫妻「マッサン」のモデル


「マッサン」のモデル、竹鶴夫妻

二人の出会いはスコットランドだった。竹鶴政孝は広島県の造り酒屋の三男として生まれ、大阪高等工業学校(現在の大阪大工学部)の醸造科を出て大阪の摂津酒造に就職。ウイスキーの製法を学ぶため英国・スコットランドに派遣されていた。

 グラスゴー大学に籍を置いていた政孝は、柔道を教えるため、ある少年の家に招かれ、その姉リタ(本名ジェシー・ロベルタ・カウン)と出会った。その頃、彼女は第一次大戦で婚約者を亡くし、同大の経済学科に通っていた。政孝はリタに求婚。「あなたが望むなら、日本に帰るのを断念して、この国で職を探してもいい」という政孝に、リタはこたえた。「私たちは日本へ向かうべきです。日本で本当のウイスキーを造ること。私もその夢を手伝いたい」。


ふたりが1921年に帰国すると日本は不況だった。摂津酒造に本格ウイスキー造りに取り組む余裕はなく、政孝は退社。中学で化学を教え、リタも英語やピアノを教えて稼いだ。政孝は23年、本格ウイスキー製造を目指す寿屋(現サントリー)に請われて入社、大阪・京都境の山崎に日本初のウイスキー蒸溜所を建てた。

 だが、ウイスキーはなかなか売れず、政孝は寿屋を出た後、34年に大日本果汁を北海道・余市に設立。リンゴジュースなどの販売でしのぎ、ウイスキーの開発にあたった。


「リタほど日本人になりきった外国人も少ないと思う」と政孝が語るように、リタはプロの主婦として、家族と、家族を支える仕事に愛情と誇りを持ち、楽しく義務を果たしていたようだ。

 高熱を出しても、「私の仕事です」と台所に立った。トウモロコシをゆでるときは湯をわかしてから畑でもぎ、たくあんは食べる直前にたるから出した。温かい昼食を綿を入れた布で包み、工場へ届けたという。政孝が留守の時にはいそいそと洋食を作るといった「息抜き」もしつつ、普段は日本風に夫をたて、尽くした。それにこたえるように典型的日本男児であった政孝も、リタの誕生日には愛の言葉を添えた本などを贈り、夜はともにウイスキーを楽しんだという。


第2次大戦が始まると、町に出たリタは石を投げられることもあった。特高警察につけられ、ラジオのアンテナは暗号発信器と疑われた。戦後、息子の妻である歌子さんに「戦争中は、鼻を低くして髪を黒く染めたいと思ったのよ」ともらしたという。


しかしスコットランドによく似た北海道・余市の風景を、リタは気に入っていた。余市川にかかる田川橋の上で、足をとめ、そこから見える夕映えのなだらかな山並みとフゴッペ海岸をうっとりと眺めていたという。

 晩年、リタは肝臓や肺を病み、政孝がよく滞在する東京に近く、治療にも便利な神奈川・逗子で過ごすことが多くなったが、1960年秋には、どうしても帰りたいと余市へ戻った。クリスマス前夜、窓の外では、リタを思い近所の教会の信者たちが賛美歌を歌ったという。


1961年1月17日、リタが亡くなると、政孝は自室にこもり、涙に暮れた。葬儀の相談にも出てこなかった。葬儀が終わり、玄関を出ようとしたひつぎを政孝は何度も何度もなでたという。
 余市にこだわった二人は、今もウイスキー蒸留所を臨む余市の地に共に眠っている。


備考
NHKの朝ドラ「マッサン」のモデルである竹鶴政孝氏は、ニッカウヰスキーの創業者です。ニッカの社名ですが、どうしてウヰスキーに「ヰ」の字を使ったのでしょうか? そこには政孝氏のウイスキーに対するこだわりが凝縮されていました。

マッサンこと政孝氏は1923年、寿屋(現在のサントリー)の創業者・鳥井信治郎氏にウイスキー造りのため招かれて入社。大阪に建てた山崎蒸留所の初代工場長になり、国内初の本格ウイスキーを造りました。

その後、理想のウイスキーづくりのため退社。1934年、気候が本場スコットランドに似ているとされる北海道余市町に「大日本果汁」を設立しました。それから18年後の1952年に社名を「ニッカウヰスキー」に変更し、現在に至ります。

ウイスキーは蒸留した後に寝かせて熟成させる必要があるため、すぐに売ることができません。そこでマッサンは、ウイスキーが販売できるようになるまでの間、地元特産のリンゴをジュースにして売ることにしました。そのために設立した会社が大日本果汁でした。

お察しの通り、ニッカウヰスキーの社名は「大日本果汁」の「日」「果」をとった略称です。それではウヰスキーの「ヰ」は、なぜこの字を使ったのでしょうか? 現在、ニッカウヰスキーの親会社はアサヒビールです。広報を担当しているアサヒグループホールディングスに聞きました。

「ウイスキーは水が命なので、井戸の『井』の字を使って『ニッカウ井スキー』で登記申請したそうです。ところが、当時は漢字とカナを混ぜて登録できず、やむなくカタカナの『ヰ』を使ったそうです。なぜヰなのかというと、発音が英語のウイスキーに近いからという理由だったようです」

ヰは「ゐ」のカタカナで、「井」の字に由来するとされています。生涯をかけてウイスキーづくりに取り組んだマッサン。その徹底したこだわりは、社名にもあらわれていました。


出典

●「マッサン」のモデル、竹鶴夫婦の愛 リタ、石投げられた時代も
●ニッカウヰスキー、なぜ「ヰ」? マッサンのこだわり、1文字に凝縮